行ってはいけない方向にアクセルを踏む日本・・・【情熱的読書人間のないしょ話(394)】
散策中に、仕種が何ともかわいらしい少女の像に出会いました。因みに、本日の歩数は10,116でした。
閑話休題、『福島が日本を超える日』(浜矩子・白井聡・藻谷浩介・大友良英・内田樹著、かもがわ出版)は、福島原発事故の被害者たちを励まそうという趣旨の講演の記録集です。「原発事故から5年。福島の人々は、不安を抱えながらも、ふつうに暮らしたいと願い、同時に国と東電の責任を忘れないという強い気持ちを持ってきました。その苦悩、葛藤、模索、闘いから福島の人々が生みだしたものは、混迷を深める日本を乗り越えるだけの水準に達しており、日本の行く末を照らし出すものになっていると思います」。
浜矩子は、「原発再稼働で日本経済は良くならない」と喝破しています。「原発というものが必ず人間を幸せにしてくれるものではないということ、必ず人間の礎であってくれるというものではないということ、そのことを福島のみなさんが身をもって体験され、日本中がその恐怖におののくという状態になっているわけです。多少とも人間を窮地に追い込むという側面を持っているものが、経済活動の名の下に容認されるということは、根源的なところで矛盾しています。経済活動はあくまでも人間を幸せにしなければ存続しえないものであり、人間を幸せにするという関係を多少とも脅かすような仕組みとか制度とか技術とか、そういうものを容認する経済活動は許されないのです」。全く、同感です。
白井聡は、「誰もがプルサーマルはうまくいかないと思っているのに」と問題提起しています。「核燃料サイクル計画がうまくいっていないことは誰もが知っています。もんじゅも青森県六ヶ所村の再処理工場もまともに動いたためしがありません。ですから、関係者の一人ひとりに対して、『本当にうまくいくと思っていますか?』と聞けば、全員が『いやあ正直なところ、あれは無理だろうと思います』と答えるのでしょう。本気で『絶対にうまくいくに決まっています』と答える人がいるとすれば、病院に行ったほうがいいというような話なのです。ところが、国が方針を決めるような場になると、当事者全員が無理だと思っていることをなぜかやることになるという現実がある。これは対米戦争に突っ込んでいった時の日本の姿とまったく同じです。アメリカと戦争したら絶対に負ける、そんなことをしたらいけないと全員が知っていたのに突っ込んでいった」。まさに、アメリカとの戦争に遮二無二突き進んでいった当時の日本と同じ構図です。
内田樹は、「行ってはいけない方向にアクセルを踏む日本」の危険性を指摘しています。「3・11は、目先の経済成長のためにリスクの高い原発に依存した結果、長期的には天文学的な損失を被ったという動かし難い実例のわけです。それを目の前にしながら、『やはりこれからも原発に依存しよう。いずれまた過酷事故が起きて、巨大な国家的損失が発生しても、それは誰かに押しつければいい』と思っている人たちが日本の現在の指導層を占めている。これはもう狂気の沙汰と言うほかない。3・11の経験によって『そっちに行っちゃいけない』ということがはっきりした方向に向かって、アクセルを踏み込もうというわけですから」。全ての日本人がこのリスクに気づくのは、いつのことでしょう。