榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

世の中がいかに変わろうと、恋愛は不滅だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(159)】

【amazon 『日本の恋の歌』 カスタマーレビュー 2015年9月1日】 情熱的読書人間のないしょ話(159)

散策中に、秋の七草の一つであるヤマハギが咲き乱れているのを見つけました。園芸種のミヤギノハギに比べると地味ですが、秋を感じさせる私の好きな花の一つです。

P1020581

P1020571

閑話休題、私は恋愛至上主義者です。憧れの女性にふさわしい自分になるべく努力するという意味の恋愛至上主義です。

日本の恋の歌』(山本健吉著、講談社現代新書。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、私の愛読書の一つです。世の中がいかに変わり、人間がいかに進歩しても、愛と死は人間の最大の関心事であるという考え方に基づき、『古事記』『日本書紀』『万葉集』から近代短歌・詩までを俯瞰して、これはという恋の歌が選ばれています。

いずれも素晴らしい歌なのですが、なぜか『古事記』や『万葉集』の歌により心惹かれるのは、私が古い人間だからでしょうか。

『古事記』に記されている大雀命(後の仁徳天皇)の歌、「道の後(しり) 古波陀(こはだ)処女(をとめ)を。雷(かみ)のごと聞えしかども、相枕(あひまくら)まく」と「道の後 古波陀処女は、争はず、寝しくをしぞも 愛(うるは)しみ思ふ」は、望みの女性を手に入れた歓喜の歌です。「第一首。筑紫路のはてのコハダ(地名)処女よ。雷のように、とどろくその評判を聞いていたが、今はこのように、まくらを交わして寝ているんだなあ。第二首。筑紫路のはてのコハダ処女は、ちっともいやな顔をしないで、わたしに抱かれて寝たんだが、かわいいことだと思うよ。・・・歓喜の気落ちが、その高らかな調子の中に、遺憾なく出ています。ずいぶん大胆・率直な表現です。・・・衆人のほめたたえ、うわさし合っている名高い美女を得たといううれしさといとしさと誇らしさとを、なにもかもこめて、子供がはしゃぎまわるようにむじゃきに、天真爛漫に歌い上げています」。

『万葉集』に載っている歌、「青柳の発(は)らろ川門(かはと)に 汝(な)を待つと、清水(せみど)は汲まず、立ち処(ど)平(な)らすも」は、水汲み場の絵のような風景が詠われています。「青柳の芽ぶいている川口の用水場で、あなたを待とうとして、このごろは清水をくまないで、同じ場所にじっと立って、土を踏み平(な)らしていることだ。水くみ場はまた、男女の語らいの絶好の場所でもありました。決まった時間に、女が水をくみに現われるのを、待っている若い男たちも多かったのです。この歌は女が、自分と逢うためにやってくる男を、待ち受けているのです。古代の村の若者たちの生活を、まざまざと表わしているので、愛唱された歌だと思います」。

『万葉集』の狭野芽上娘子の歌、「あしひきの 山路越えむとする君を、心に持ちて、安けくもなし」と「我が夫子(せこ)が 還り来まさむ時のため、命残さむ。忘れたまふな」も、心に沁みます。先の歌には、「これから山路を超えて越前の国へ行こうとするあなたの姿を、心の中に保っていて、おちつくこともございません」、後の歌には、「あなたが帰っていらっしゃるだろうそのときのために、わたしはしんぼうして、この命を残しておきましょう。そのことをお忘れくださいますな」という気持ちが込められています。これらの歌には、中臣朝臣宅守が宮中の掃除などを担当する下級の女官である娘(狭野芽上娘子)と情を通じたことが露顕し、越前の国に流罪となったという背景があるのです。

本書を読み返すたびに、生涯、恋愛至上主義者でありたいと思う私なのです。