榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

孟子の妻が家を出ていった本当の理由・・・【情熱的読書人間のないしょ話(219)】

【amazon 『歴史小品』 カスタマーレビュー 2015年11月7日】 情熱的読書人間のないしょ話(219)

散策中に、日向ぼっこをするアオサギとコサギのツーショットを撮ることができました。2羽は毛繕いを始めました。やがて、飛び立ったコサギを半身だけカメラに収めることができました。カワウは羽を広げて乾かしています。因みに、本日の歩数は11,056でした。

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閑話休題、『歴史小品』(郭沫若著、平岡武夫訳、岩波文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、郭沫若の歴史物を収めた短篇集です。

いずれも捻りが利いた作品ばかりですが、面白さでは「孟子 妻を出す」が一番でしょう。しかも、ここに描かれた孟子夫妻はかなり煽情的なのです。

「『先生、(朝)御飯ができました。どうぞお入りになって、おあがりくださいませ』。年のころ、ちょうど三十歳ばかりの孟夫人、孟子とは極端な対照をなしている。彼女は夏のあけがたのように、豊満にしてしかも新鮮である。上に白いうすものを着て、下に緑色のスカートをはいている。彼女は、素足で、お膳を目八分にもち、庭に面した縁側に来て、孟子にお入りになって食事をなさるように言った。孟子は、不きげんそうな顔をして、こっちをふりかえり、彼女を見た。額にしわをよせて、一つうなずいただけで、何も言わない」。そして、もったいをつけて一人で食事をします。

これはどうしたことでしょうか。孟夫人に何か不行き届きがあったのでしょうか。「原因は、もったいぶっている孟子にも、にこやかにしている夫人にも、はっきり分っているのである。というのは、昨夜の情景が、今朝とは全然ちがっていたのである。昨夜、孟子はわれらの孟夫人を愛撫した。それも、あまい瓜を食わせるように、一しずくの液をも大切にしたのである。しかし、昨夜の愛撫があったそのことのために、眼前のしかつめらしさがあるのである」。

不動心を追求する孟子は、脇で給仕をする夫人には目をやらないように努めています。「とりわけ彼にたまらないのは、夫人がお行儀よくそば近くに跪いている、その方に、自分の目をちっとも向けまいとすることである。だが、正視せずにいても、やはり駄目である。夫人の全身が、その一糸まとわぬ全身が、実のところ、彼の感覚のすべてに蔽いかぶさっているのである。うすものの下にもり上がっている二つのうず高い乳房、彼の秘密を何もかもすべて見とおしている二つの黒耀石のような目、あのやさしさ、やわらかさ、いきづかい、曲線、・・・彼は十重二十重の縛しめを受けた人のように、ちょっとの身じろぎもできない。『あーぁ、悪魔。わしは孔子さまの弟子である。貴様の弟子ではないぞ』。彼は、一方では飯を食いながら、一方では、心の中で、こんなことをくり返し叫んでいた」。
 
聡明な夫人には、聖人になりたいという彼の心中の願いがよく分かっています。そこで、彼の意志を遂げさせるべく、家を出て実家に帰ろうとしているのです。「『先生は天下のお手本です。私ひとりが独り占めしていてよいものではありません。私がここに留っていては、先生のおためになりませぬ。私が出て行けば、先生のおためになるのです。先生のおためにさえなるならば、たとい火の中へでも、私は参ります』。孟子は、このきわめて平凡な言葉の中に、かえって深刻な啓示を受けた。彼はつね日ごろ、口を開けば、仁を講じ、義を説いている。しかし、意外なことに、彼の夫人は、少しも議論をせずに、すでに実践躬行しているのである。彼は、ふと、夫人は孔子よりも偉いように思った」。

この作品は、エロティックなだけでなく、愛とは何か、聖人とは何かを私たちに問うているのです。