遺伝子レベルでも生態系レベルでも、抑制の抑制という調節メカニズムが働いている・・・【薬剤師のための読書論(26)】
『セレンゲティ・ルール――生命はいかに調節されるか』(ショーン・B・キャロル著、高橋洋訳、紀伊國屋書店)を読んで、驚いた。「脂肪、フィードバック、そして奇跡の菌類」という章で、私が三共株式会社(現・第一三共株式会社)時代にプロダクト・マネジャーとして担当したコレステロール合成阻害剤・プラバスタチン(商品名:メバロチン)と密接な関係にあるコンパクチンの研究・開発過程が詳細に辿られているからである。
「高レベルのコレステロールと心臓病の結びつきを示す疫学研究の成果が広く知られるようになるにつれ、製薬会社に所属する他の多くの研究者と同じく、(三共株式会社の)遠藤(章)は、コレステロール合成の抑制物質が重要な医薬品になり得ると考えた。実のところ、1960年代には高コレステロールを矯正するための医薬品が数多く開発されていたが、それらにはほとんど効力がなく、しかもたいがい副作用をともなった。そのなかに、レダクターゼを標的にするものはなかった。しかし遠藤は独自の考えを持ち、他の研究者とは異なるアプローチをとる。・・・他の生物のコレステロール合成を抑制する化合物を生産するよう自然に進化した菌類が存在するはずだと推測したのである。・・・彼と3人の助手は、1971年4月に実験に着手している(これは、私が三共に入社した4年後のことである)。・・・(6000に達する菌類の研究を重ねた結果)彼らは、ML-236Bと命名した化合物(のちにコンパクチンと呼ばれるようになる)が、低濃度でも効果のある、レダクターゼの強力な抑制物質であることを実証できた」。
「コンパクチンは有望な薬品であると思われた。ちなみにここで遠藤が発見したものは最初のスタチン、すなわち今日2500万人以上が服用し、2012年における世界全体の総売上高が290億ドルに達する薬品群の嚆矢であると言えば、おそらく遠藤は大金持ちの有名人になり、ノーベル賞を手にしたであろうと思われるかもしれない。残念ながら、そうはならなかった」。遠藤には不運としか言いようのない紆余曲折が待ち構えていたからである。
「この医療革新は、(マイケル・)ブラウンと(ジョセフ・)ゴールドスタインによるコレステロール調節の主要なルールの発見、菌類に自然のレダクターゼ抑制物質を見出そうとした遠藤の努力、そしてメルク社のリーダーおよび何人かの臨床医の忍耐なくしては起こり得なかっただろう。この貢献により、ブラウンとゴールドスタインは、1985年にノーベル生理学・医学賞を受賞している」。iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥も、遠藤にノーベル賞が与えられるべきと考えているようだ。
「踏み込まれたままのアクセルと故障したブレーキ」の章では、アクセル役のがん遺伝子と、ブレーキ役の腫瘍抑制因子の発見のエピソード、および、それらの故障ともいうべき変異について綴られている。
続く多くの章では、コレステロールや細胞の成長を支配するルールと同様の、動物の個体群を調節するルールが存在することが論じられている。「『遺伝子のレベルから生態系のレベルに至るまで、抑制の抑制という二重否定論理に基づく調節メカニズムを介して、システムの安定性が保たれている』という理論的側面と、『蝕まれた生態系はいかに回復できるか』という実践的側面」が紹介されているのだ。
知的好奇心を掻き立てられる一冊である。