榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

キリシタン大名たちには、信長、秀吉の天下統一とは別の戦略があった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(256)】

【amazon 『アジアのなかの戦国大名』 カスタマーレビュー 2015年12月21日】 情熱的読書人間のないしょ話(256)

今日は野鳥観察会に参加しました。上空を旋回するハイタカ(メス)をカメラに収めることができました。オオタカやノスリも空を舞っています。ジョウビタキのメスの写真も撮れました。腹部が鮮やかな橙色のオスとは異なり地味なので、滅多に見つけることができません。これらを含め、キセキレイ、ベニマシコ、エナガ、カシラダカなど41種の野鳥を観察することができました。さらに、日本で一番小さいカヤネズミの巣と、モズの速贄(はやにえ。この獲物はクモ)も直に目にすることができ、収穫の多い一日でした。因みに、本日の歩数は12,746でした。

P1050439

P1050412

P1050434

P1050431

閑話休題、『アジアのなかの戦国大名――西国の群雄と経営戦略』(鹿毛敏夫著、吉川弘文館)で、著者は、織田信長、豊臣秀吉らの全国統一が当時の政治行動の全てではなく、全国の大名、とりわけ西国の大名たちはアジアを視野に入れた戦略を採用していたと、独自の画期的な見解を発表しています。「日本の一国史内部で働く『天下統一』の行動力学とは異なる、もう一つの志向性を戦国大名たちは有している。その視線の先は『アジア』である。信長が京都で地盤を固めつつある時期に、琉球に使者を派遣した大友氏のみならず、特に西日本に本拠を置く戦国大名たちは、朝鮮、中国、『南蛮』(東南アジア)の海の彼方を見つめ、そのアジア諸地域との結び付きのなかでみずからの領国制の特質を導き出そうとしていた」。

「これまで華やかな『天下統一』レースの陰に隠されて、その敗者の動きとして注目されることのなかった西日本の戦国大名たちによる、『アジア』を視線の先に意識した領国の為政者としての政治力学の動向」が、ヴィヴィッドに描き出されています。

その主人公として登場するのは、大内氏、相良氏、大友氏、松浦氏、そして島津氏です。その一例として、大友氏の外交の実態を見てみましょう。カンボジア国王が大友義鎮に宛てた書簡の中で、義鎮から使節とともに届けられた「美女等物」の贈答を謝し、象などを義鎮に贈ろうとしています。「天正年間初頭の大友氏は、『九州大邦主』との立場でカンボジア国王との外交関係の構築に成功し、東南アジア産の『銅銃』や『蜂蝋』などの物質的『珍産』を導入することに加えて、日本からは『美女』を提供し、カンボジアからは象とセットの『象簡』(象使い)や『鏡匠』を受領するという、人的資源の相互交換も手がけていたといえ、人が贈与の対象とされた前近代社会の歴史を物語るものとしても興味深い」。

「戦国大名のなかで最初に受洗したのは肥前の大村純忠といわれるが、その後、九州では有馬氏や大友氏、中国・四国では宇喜多氏や一条氏、畿内では高山氏など、おもに西日本で多くの『キリシタン大名』が生まれている。これも、中世西国社会のアジアへの志向性の強さと、その伝統に裏付けられた他者受容の開放性と無関係ではないであろう」。「日本史で『守護大名』や『戦国大名』と呼称する日本国内の一地域公権力の定義の枠組みをはるかに越え、大陸に近い九州の地の利を活かして、アジア史の史的展開のなかにみずからの領国制のアイデンティティを追求しようとしていることから、『アジアン大名』と呼称するのがふさわしい。・・・中世の数百年にわたって中国・琉球・朝鮮、そして東南アジア諸国を意識してきた『アジアン大名』の歴史的伝統の基盤のもとに、16世紀末の『キリシタン大名』が誕生することになったのである」。この「アジアン大名」は著者の造語ですが、この海外を視野に入れた考え方は説得力があり、魅力的です。