榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

本書を読んで、反知性主義が何たるか、少し分かった気がした・・・【情熱的読書人間のないしょ話(299)】

【amazon 『超・反知性主義入門』 カスタマーレビュー 2016年2月15日】 情熱的読書人間のないしょ話(299)

冬の落ち着いた趣の雲は、私の心を鎮めてくれます。散策の帰りには、三日月が出ていました。因みに、本日の歩数は10,503でした。

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閑話休題、最近、「反知性主義」という言葉をよく耳にしますが、『超・反知性主義入門』(小田嶋隆著、日経BP社)では、こう説明されています。「言葉だけを見ると『知性というものに対する敵意』なのかと思うけれど、そうではなくて、『知性の背景にある権威主義に対する反感、疑い』だと、あんりの本を読むとよくわかる。反感だから、刃は知性に向いているけれども、もっともっと根本的な反感が、知性そのものじゃなくて、知性の向こう側にあるものに向いている」。その森本あんりは、「反知性主義(anti-intellectualism)というのは、知性をまるごと否定するんじゃなくて、『既存の知性』に対する反逆なの。知性の否定というより、『今、主流になっている、権威となっている知性や理論をぶっ壊して、次に進みたい』という、別の知性です。だから、無知で頑迷固陋というのとは反対で、開拓者的なの。フロンティアスピリットに支えられて、戦闘意欲満々で、今大きな顔をしている権威だとか、伝統だとか、その道の大家だとか、そういうのをみんなぶった切っていくわけ」と語っています。

「さらば、沈黙の俳優」には、高倉健と安倍晋三の語り口の比較論が記されています。「追悼企画の中で再生されていた高倉健のセリフまわしと、夜のニュース番組で解散の真意を語る安倍さんのしゃべり方を聴き比べて、その二つが同じ日本語であるようには思えなかった。寡黙と多弁。寡言と早口。低音と高音。静穏と狂躁。健さんの語りと、安倍さんのしゃべりは、あまりにも対照的だった」。

「大学に行く理由」では、大学とは何なのかが論じられています。「大学は、そもそも産業戦士を育成するための機関ではない。労働力商品の単価を上げるための放牧場でもない。『じゃあ、何のための場所なんだ?』と尋ねられると、しばし口ごもってしまうわけなのだが、勇気を持って私の考えを言おう。大学というのは、そこに通ったことを生涯思い出しながら暮らす人間が、その人生を幸福に生きて行くための方法を見つけ出すための場所だ。きれいごとだと言う人もいるだろう。が、われわれは、『夢』や『希望』や『きれいごと』のためにカネを支払っている。なにも、売られて行くためにワゴンに乗りにいくわけではない」。

「時速500キロの『直線的な夢』」では、エリートが槍玉に挙げられています。「われわれは、人間の多様性を認めるのはもっぱら知的な人で、他方、知的に劣った人々は単純な人間観を抱きがちだというふうに思い込んでいたりする。しかしながら、こと『偏差値』に関する限り、優秀とされている人間の方が、幅の狭い考え方に囚われている。というよりも、小学生の頃に優等生だった人間は、一生涯小学生の頃の考え方を手放したがらないわけで、これは、意外というよりも、どうにも不当ななりゆきなのである。優等生は大人にならない。・・・私よりずっと優秀だった本格派のエリートの皆さんは、たぶん、死ぬまで小学生の価値観から外に出られないと思うのである。ということはつまり、彼は、アタマの良い人間が一番偉くて、人間には生まれつきの出来不出来があって、オレは最高にアタマが良くて、目標は一度決めたら絶対に撤退すべきじゃなくて、オレなら必ずできるはずだみたいな、そういう考え方を抱いたまま、50歳になり、そのまま老人になって行くわけだ。本人は良い気分なのかもしれないが、これは、周囲にとっては相当にめんどうくさいタイプの人間と言わねばならない。・・・そういう優秀な人々のうちのかなりの部分の人々は、ものすごく切れ味の良いナイフで、大量の古新聞を切り刻むみたいな世にもくだらない業務に従事しているのだ。・・・せっかくあんなにアタマが良いのに、どうしてこんな重箱の隅っこにマッチ棒のお城を作るみたいなことに熱中しているのだろうか、と、私は、極めて優秀な官僚やマーケティング関係の人間を見る度に、そう思わずにおれないのである」。

本書を読み終えて、反知性主義が何たるか、少し分かった気がしました。