榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

本作品のせいで、清少納言に妙に親しみを感じるようになってしまった私・・・【情熱的読書人間のないしょ話(398)】

【amazon 『むかし・あけぼの』 カスタマーレビュー 2016年5月29日】 情熱的読書人間のないしょ話(398)

午前中は野鳥観察会に、午後は東京・杉並の浜田山を巡る散歩会に参加しました。ヒッヒッヒッヒッと鳴くセッカや、ヒバリ、ツバメ、カワラヒワ、アオサギ、カワウ、カルガモなどを観察することができましたが、写真が撮れたのはキジとハクセキレイだけでした。ナミテントウが交尾しているところにでくわしました。アブラムシを食うのに夢中なナミテントウもいます。コガネグモも見つけました。ヤマグワがイチゴ状の赤い実をたくさん付けています。ユウゲショウ(アカバナユウゲショウ)が桃色のかわいい花を咲かせています。道端の雑草扱いされるヒメジョオンの白い花は、よく見ると清潔さを漂わせています。よく似た花をもう少し早い時期に咲かすハルジオンとの見分け方について、葉が茎を抱いているのがハルジオン、抱いていないのはヒメジョオンと教わりました。

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閑話休題、『むかし・あけぼの――小説枕草子』(田辺聖子著、文春文庫、上・下巻)は、田辺聖子が清少納言になり切って綴った長篇小説です。

「あのころは(橘)則光とケンカばかりしていた。則光に新しい女ができて、そっちの方に子供が産まれたからである。まあ、男は二人妻どころか、三人四人、やんごとないあたりの方々は十なん人もの妻をお持ちになる世間の風習だから、下っぱ役人の則光だって、二人ぐらい持ってわるいということはないけれど、私は、がまんならなかったのだ」。

「まったく宮中ぐらしほど面白いことがこの世にあろうか。そこにはすべてのものがあった。男も女も奢侈も栄華も。権力も阿諛も、粋も不粋も、典雅も俗悪も。そしてその頂点に、光り輝くのは、若き主上と、美しき中宮であられた。中宮のいられる後宮は、自由暢達だった。定子中宮のいられるところ、つねに活気とはなやぎと明るさにみちみちている」。

「則光はむろん、帰らずに泊っていった。月のあかるい晩で、暑かったので格子も蔀もあけてあったので、月がさしこみ、二人のふすまの上に月光が流れ、白々と見える。則光はよく眠っている。・・・私たちは、さま変りして、再会し、恋人とも夫ともつかずこうして馴れ親しんだ体を交している。そのことが、私には何となく、しみじみして考えられる。月の光がよけいその思いをそそる。そういう、ふとした折、心をよぎる一瞬の、淡い感動、そういうものを私は書きとどめなくなって久しかった」。

著者は、清少納言をこのように位置づけています。「実際、彼女は幸福な女だったと私は思っている。生涯にかくも熱愛できる対象(女主人の中宮定子)を持ち、人生や自然のよさを味わいつくし、その記憶だけで、一生おつりがくるほどの充足感に恵まれたなんて、何というたのしい人生であろう。私は充足の対象を異性関係に限定する考えかたを好まない。現代の人は、あまりに性を肥大化して考えすぎている。人間の充足感は、同性への敬慕、自然と人生への心おどる観察、あるいは創作のよろこび、可能性に挑戦する意欲、それらで燃焼されることも多い。ついでにいうと、そういう充足感にみちた『枕草子』的エッセーの流れは、以後、二度と日本文学史に現われなかった、という気が私にはしている」。

本作品を読んでからは、お高いイメージがあった清少納言に妙に親しみを感じるようになってしまいました。