榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

強大なアステカ王国が少数のスペイン人に滅ぼされてしまった理由・・・【情熱的読書人間のないしょ話(424)】

【amazon 『古代アステカ王国』 カスタマーレビュー 2016年6月19日】 情熱的読書人間のないしょ話(424)

生物観察会に参加しました。トウキョウダルマガエル、ギンブナ、ツチフキの稚魚、アメリカザリガニ、ミナミメダカなどを観察することができました。子供の頃、東京・杉並でよく捕まえていたカエルはトノサマガエルだと思い込んでいましたが、どうも、よく似ているトウキョウダルマガエルだったようです。メダカとカダヤシはよく似ていますが、側面から見て、尾鰭の先端が直線状なのはメダカ、半円状に丸みを帯びているのはカダヤシです。飛翔するダイサギ、飛び立とうとするコサギをカメラに収めることができました。キジの羽が落ちていました。ツバメが何度目かの抱卵をしています。真夏日の観察会でしたので、木陰のベンチが砂漠のオアシスのように感じられました。因みに、本日の歩数は16,421でした。

P1100176

P1100179

P1100183

P1100168

P1100175

P1100202

P1100201

P1100242

P1100231

P1100233

P1100197

P1100244

P1100213

閑話休題、『古代アステカ王国――征服された黄金の国』(増田義郎著、中公新書。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)には、アステカ族がメキシコの地に築いていた強大な王国・アステカ王国が、600人余りの部下を率いたフェルナンド・コルテスという強かなスペイン人に、1521年に滅ぼされてしまった歴史的事実がヴィヴィッドに描かれています。

「白人きたるとの報に、(アステカ王国の王)モンテスマがおそれおののき、(彼らの神)ケツァルコアトルの再来ではないかと苦慮するさまは、インディオ側の記録にくわしくえがかれている」。「伝説によればケツァルコアトルは白い肌をして、黒いヒゲをたっぷりとたくわえていた。まさしくスペイン人たちはそういう風貌だった。密使の報告を聞いて、モンテスマがひとことも言わないまま、首をがっくりとうなだれた理由は、これで明らかだろう」。

「コルテスとモンテスマの出会いは、根本的に異質な、ふたつの文化の運命的な出会いだったのだ」。

「おそらく、新情勢の展開を見て、コルテスは、例のするどい直観で、いよいよ事が、モンテスマの仲介を抜きにした、スペイン人対アステカ人の露骨な対立になってきたことを感じとり、モンテスマが、じぶんにとって無用の存在になりつつあることを知っていたので、そのように冷たい態度をとったのだろう。感傷におぼれぬこのような冷たさは、政治的野心家としてのコルテス、歴史をつくる人間としてのコルテスに、素質として生まれながらにそなわったものだった」。

「(モンテスマの死後、王に選ばれた)クイトラワクの後を襲って王位についたのは、モンテスマのいとこで、美しいモンテスマの娘を妃とする青年クワウテモクだった。『25歳ほどの青年で、インディオとしては教養すぐれ、勇敢だった。そのおそろしさは、前に出る者が震えて恐怖するほどだった』と、ベルナール・ディアスは彼のことを描写している」。

「スペイン軍の攻勢がふたたび始まった。コルテスは、青年王クワウテモクに軍使を送り、降伏を勧告したが、相手は頭からはねつけた。コルテスの出した条件は、王の命を許すばかりでなく、統治者としての権利もみとめる、という寛大なものだったのに。クワウテモクの態度は実に英雄的だった。いいかげんな妥協よりは、決定的な勝利か敗北のいずれかをえらぶ、というのが彼の決意だった」。間もなく、クワウテモクはコルテスによって絞首刑にされてしまいます。

「コルテスの生涯の絶頂は、1521年8月13日だったようだ」。数々の苦難を乗り越え、漸くアステカ征服を果たしたコルテスですが、失意の日々を送ることになります。スペイン国王によって、植民地政治の埒外に追いやられてしまうからです。

スペイン人によるアステカ人惨殺の歴史を知れば知るほど、胸が痛みます。