榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

辻邦生が自分の理想とする生き方を投影させた織田信長・・・【情熱的読書人間のないしょ話(718)】

【amazon 『安土往還記』 カスタマーレビュー 2017年4月6日】 情熱的読書人間のないしょ話(718)

私の散策コースのあちこちで、ソメイヨシノが見頃を迎えています。オオシマザクラも満開です。我が家のモクレンが漸く咲き始めました。例年、開花は余所よりかなり遅いのですが、紫色の美しさでは負けないというのが、内の庭師(女房)の言い分です。因みに、本日の歩数は10,968でした。

閑話休題、歴史小説として読み始めた『安土往還記』(辻邦生著、新潮文庫)ですが、この予想は見事に外れてしまいました。

本作品では、宣教師を日本に送り届けるために渡来したイタリア・ジェノヴァ生まれの船員を語り手として、尾張の大殿(シニョーレ)こと織田信長の心と行動が描かれています。しかし、これが歴史的事実であるという証拠はありません。乱世を駆け抜けた歴史上の人物・信長に、辻自身がこうありたいと考えている生き方、すなわち、自らが確信することを、あらゆる障害を乗り越えて具現化していく確固たる生き方を投影させているからです。

その確固たる生き方とは、どういうものでしょうか。

宣教師・オルガンティーノの言葉を通じて、こう語られています。「重要なのは、彼(信長)がキリシタンを理解しもしなければ、信仰の何たるかも知ろうとしない点です。彼は表面上は仏教徒ですが、地上のもの、眼に見えるもの以外、何も信じようとはしません。彼は無神論者です。それは彼自身が誇らしげに私に向って言ったことなのです。・・・ただ私に言えるのは、彼が異常な好奇心と探求心を持っているということ、徹底して僧侶たちを憎悪しているということ、だけです」。

語り手は、このように感じています。「そうした戦術戦略をひとり彼の残忍さに帰すべきだと考えるには、私は、彼の子供のようなはにかみ、率直な好奇心、探求心、快活な態度、細かい思いやりなどをあまり知りすぎていたのだ。私はむしろ大殿が決して我意や個人的な単純な怨恨から残忍な殲滅を行なうはずがないと感じていた。・・・私は彼と話した印象から、彼が極めて道理に耳を傾ける人であることを保証したい。さらに彼は、自らの主義、主張さえも、理にかなった真理の前では、なんの躊躇もなく、なげすてる。・・・彼が神仏を信ぜず、偶像を軽蔑し、眼に見えるもののほか、何も信じないというのは、なにより、彼が理にかなったことのみに従うという証拠ではないか。・・・ほとんど求道的といっていい真摯さがあふれていはしないか。・・・大殿の場合、彼が執着するのは現世ではなく、この世における道理なのだ。つねに理にかなうようにと、自分を自由に保っているとでもいえようか。彼にとっては、理にかなうことが掟であり、掟をまもるためには、自分自身さえ捧げなければならないのだ。大殿はこの掟を徹底的に、純粋にまもる。いかなる迷いもなく、いかなるためらいもなく、いかなる偏見もなく。彼は理にかなうことのためには――彼が掟とさだめたことのためには、自分をさえこえる。生命をさえ捧げるであろう。・・・彼にあっては政治の原則は一つしかない。すなわちこの力の作用の場において、力によって勝つということである。だが、ひとたび彼がこの原則をうちたてるや否や、彼は、この原則にかなうことに全力を傾注するようになったのだ。彼という一個の人間さえ、この力の法則に捧げられる。・・・彼は勝利にのみかじりついているのではなかった。勝利は彼にとっては、理にかなうことの結果に与えられたものにすぎない。彼に意味があるのは、理にかなうこと、だけであった」。

本作品には、信長と同じような生き方をしている、もう一人の人物が登場します。巡察使のヴァリニャーノです。「大殿がフロイスに好意をもち、オルガンティーノと冗談を言うのを好み、のちに巡察使として日本に来た美貌のヴァリニャーノを愛したのも、彼らがキリシタン布教というただその一事のために、幾年にもわたる危険な航海を冒して、はるばる遠い異国へきたそのひたむきな態度に打たれたからである」。「単に来訪した巡察使に対して示す友情としては、明らかに度をこしている。これを説明するのは、同じ孤独のなかに生き、それを限度まで持ちこたえようとする態度への共感以外にない。大殿は理に適った考えや行動を求め、また一つの事柄を成就させるために、自分や、自らの恣意などは全く切りすて、ひたすら燃焼して生きぬく人間たちに、言いようのない共感を覚えていたのだ。オルガンティーノやフロイス師の辛苦や誠実は、いわばこうした生き方の証拠であるし、私が大殿のなかに自分の似姿を感じるのも、そのような燃焼の激しさが、刻々の生活のなかで、こちらに伝わってくるように思えたからだ。・・・大殿がヴォリニャーノに魅せられたのは、こうした自分との戦いに生死を賭しているこの巡察使の孤独な、真剣な、ひたすらな生に共感したからである。私はこれに関して直接に大殿の口から聞いたことがあり、その炯眼に驚かされたことがある」。

辻の価値観が色濃く打ち出された作品と言えるでしょう。