榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

道幅が狭く、くねくねした旧道、その辻の庚申塔や地蔵は散策の醍醐味・・・【情熱的読書人間のないしょ話(837)】

今晩は夜の昆虫観察会に参加しました。森の中で、紫外線ライトを照射し、垂直に張った大きな白布に走光性の昆虫を集めるライト・トラップという仕掛けを使います。アカアシオオアオカミキリ、ノコギリクワガタの雌、コフキコガネ、ナナフシ(ナナフシモドキ)、ヒグラシ、ニイニイゼミ、ゴマフリドクガ(有毒!)、カシワマイマイの雌などの昆虫やオオゲジを観察することができました。帰り道、遠くの花火が見えました。

閑話休題、『東京いい道、しぶい道』(泉麻人著、中公新書ラクレ)は、私のような散策好きには堪らない一冊です。

「広くて直線状の新道に対して、旧道の方は幅も狭く、だいたいくねくねと湾曲している。昔ながらの店屋が残っていたり、辻の所にひっそり庚申塔や地蔵が祀られていたり、こちらの方が断然おもしろい」。これぞ、散策の醍醐味です。

例えば、「谷根千境角蛇行散歩――へび道・よみせ通り」は、こんなふうです。「谷中、根岸、千駄木――いわゆる谷根千の町境を南北に走る細い道がある。とりわけクネクネと蛇行している区間は『へび道』と呼ばれ、散歩愛好者には知られている」。

「川跡の道は東京にいくつもあるけれど、こういう小刻みな曲流の筋のまま暗渠化されたという所は珍しい。それだけ埋められた時代が古い、ということだろう」。暗渠は直線でも風情があるが、川の流れそのままの暗渠となれば、さらに興趣が昂まります。

「阿佐ヶ谷からバスに乗って――旧早稲田通り」も、魅力的です。「この辺は、似たような幅の道が所々でY字に分岐しているので、うっかりしていると妙な方向へ行ってしまう。そんな道の分かれ目に地蔵や庚申塔を見つけるのも、石神井散歩の愉しみだ」。

「ここから先、三宝寺、氷川神社と寺社が並んでいるが、この三宝寺池南方の一帯の山にかつて豊島氏が居城した石神井城が築かれていた。道場寺は山門の入り口に『豊島山』と刻んだ石柱が置かれているように、14世紀後半から15世紀後半にかけて一帯を支配した豊島一族の菩提寺。鬱蒼とした樹木の間に渋い堂宇や鐘楼、三重塔などが覗き見える。静かな山寺風情が漂っている。この奥に控えるのが池の名前で知られる三宝寺だ」。

「左の道端に背の高いクヌギの古木が並び、右の山斜面の林間に三宝寺池が垣間見える。いまも沼沢植物が豊かな草深い池だが、その昔、太田道灌に敗れた豊島氏最後の城主・泰経は白馬に跨り、この池に入水して死を遂げた――という伝説もある。まさに、石神井の奥地にやってきたという雰囲気」。子供の頃、何度か遊びにいった石神井公園だが、久しぶりに訪れたくなってしまいました。石神井城跡や道場寺にも足を延ばしたいものです。

「西部のお屋敷町歩き――荻窪 荻外荘通り」では、私が育った家のすぐ周辺が紹介されているではありませんか。「(著者の地元の)近所の荻窪に好みの道がある。青梅街道の天沼陸橋の手前で枝分かれする旧道の最初の信号(天沼陸橋南)の所から始まる通り。荻窪三丁目と四丁目の境界になっている筋は、沿道に荻外荘や大田黒公園・・・といった名所も多い」。

「野川べりの水車小屋――人見街道」も、懐かしい場所です。「野川の岸辺にやってきた。水際にずーっと緑の草地が続くこの川、のどかな田舎の小川の趣きが漂っているけれど、昭和40年代に一応治水工事を施した上で、自然ムードの川筋に仕立て直したものだと聞く。・・・人見街道に架かる橋からちょっと下った所に『新車』の屋号で呼ばれる水車農家・峯岸家がある」。今の野川もいい雰囲気を漂わせているが、私が学生の頃、時折、訪れた治水工事前の野川は、それこそ自然の真っ只中の野の川そのものでした。