榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

文人の跡を訪ねる愉しみが味わえる本・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2207)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年4月29日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2207)

雨中で、アヤメ(写真1、2)、ジャーマンアイリス(写真3、4)、キショウブ(写真5)が咲いています。ハゴロモジャスミン(写真6、7)が芳香を放っています。

閑話休題、『新東京文学散歩――漱石・一葉・荷風など』(野田宇太郎著、講談社文芸文庫)は、『新東京文学散歩――上野から麻布まで』(野田宇太郎著、講談社文芸文庫)の後篇です。

「澄江堂廃墟」では、芥川龍之介が晩年、住んだ家を訪ねています。「澄江堂主人とは隅田川をふるさととして愛した芥川龍之介晩年の別号である。・・・中堅作家として名を成した龍之介は、昭和に入ってから神経衰弱症に罹り、昭和二年になるとそれが悪化して、その年の七月号『改造』に書いた小品『三つの窓』を最後に、七月二十四日数通の遺書を残して自殺を遂げた。享年三十六の、ようやく壮年に達した若さであった。生前芥川龍之介に親しかった関係で、室生犀星も亦ここから大して遠くない同じ田端の五二三番地に住み、犀星の親友だった萩原朔太郎もまた故郷前橋から上京して田端に住んでいたから、彼等を中心に大正末期から昭和初期にかけての田端界隈はジャーナリストや文人の往来も盛んであったところである。・・・当時の文壇切っての教養作家でもあり、切支丹物の小説などにも独自の境地を開拓し、随筆家としても他を抜いていて、我鬼と号し、又、澄江堂主人とも号しては俳句も作り詩も書き、とくに河童伝説の幻妖を愛した多彩な才人龍之介の、これが終の栖の跡かと思うと、戦後の風は無情でもある」。龍之介は、36歳で死ぬまでに、あれほど多くの作品を書いたのかと思うと、その才能の豊さに改めて驚かされます。

「『武蔵野』のあとを辿る」を読むと、国木田独歩の「武蔵野」が、どの辺りを指しているのかが分かります。「独歩はこの(『武蔵野』の)文章によると東京から当時の甲武線に乗り境駅に下車したことになっている。今の中央線の武蔵境の駅前に出た私はこの独歩の文章と全く同じだといってよい方角と道のりを『北へ真直に四五丁ゆく』、するとまさしく『桜橋といふ小さな橋がある』。・・・独歩も亦この『江戸名所図会』をよみ、ツルゲエネフの如く山野の醇朴を愛してここに杖を曳いたのであろう。『武蔵野』をそのままに味わうためには、今私が通って来たこの堤道を歩くのが最もよいのではあるまいか」。私の好きなツルゲーネフが出てきたので、嬉しくなってしまいました。

「蘆花恒春園」は、徳富蘆花の旧居です。「蘆花が市内赤坂の旧宅からこの粕谷の村里に移り住んだのは明治四十年二月であった。・・・恒春園の蘆花はもっぱら土に親しみ、思索にふけって晴耕雨読の生活をたのしんだが、これも亦東京のヤスナーヤ・ポリャーナに於けるトルストイを以て自らを任ぜんとしたものであるかのようである」。東京・杉並の荻窪で育った私は、子供の頃、自転車で何度かここを訪れたことがあります。また、最近も杉並散歩会でここを再訪したが、なかなか風情のある邸跡です。