榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

秘密警察に殺された妹の敵を討つために、建築家がやった驚くべきこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(841)】

【amazon 『約束』 カスタマーレビュー 2017年8月9日】 情熱的読書人間のないしょ話(841)

散策中、涼しげに泳いでいるヒメダカを見かけました。熱帯魚も元気に泳ぎ回っています。サボテンが白い花を咲かせています。ゴーヤーも頑張っています。因みに、本日の歩数は10,057でした。

閑話休題、『約束』(イジー・クラトフヴィル著、阿部賢一訳、河出書房新社)は、著者の「『小説』こそが『物語』の多様な可能性を探求する場だ」という信念を具象化した作品です。これは、ナチス、それに続く共産主義という全体主義体制下で生きなければならなかった息苦しさ、恐ろしさから生まれた小説なのです。

ナチスの保護領時代が終わり、共産主義政権が権力を握ったチェコのブルノの中心部のビェホウンスカー通りにある建物。その4階に建築家のカミル・モドラーチェクが住んでいました。

取り調べを受けていた、モドラーチェクの妹で画家・グラフィックデザイナーのエリシュカは、共産主義政権の秘密警察に殺されてしまいます。「モドラーチェクは朝まで家に帰らなかった。夜のブルノをさまよいつづけた。戒厳令か空襲でもあったかのように、暗く人のいない50年代初頭のブルノの町を。暗く、人もいない町中で、モドラーチェクにある恐ろしい考えが芽生えた」。

「妹は、私の人生でもっとも大切な存在であったように思う。子どものときから、兄としての責任以上のなにかを妹には感じていた。にもかかわらず、私は受け身のまま、なにか行動することなく、ぼうっと妹の死を受け入れてしまった。・・・残りの生涯、私は無感覚という刑務所に投獄されることになる。妹を守ることができず、かれらに立ち向かうことができなかったことの罰」。「私は憤怒に身をゆだねた。エリシュカを拷問し、自殺に追い込んだ奴ら、殺害した奴らに対する憎悪という憎悪がここで爆発したのだった」。

怒りに駆られた彼は、彼の地下倉庫の奥の壁につるはしを何度となく振るいます。「そのあと、息を呑む事態が起きた。壁がどっと動き出し、壁のほとんどが向こう側の闇のほうへばたんと倒れたのだ。私はつるはしを置き、懐中電灯を手に取り、崩落した壁の先の闇を照らした。すると、そこには、私の懐中電灯の光では到底照らし出すことのできない大きな空間が広がっていた」。ブルノの地下には、中世の地下廊下が張り巡らされた広大な地下空間が存在していたのです。

中世の地下室を見つけたモドラーチェクは、そこに巨大な熊(用)の檻を運び込み、その中に、妹を殺した秘密警察のラースカ警部補を監禁してしまいます。「妹よ、約束する、私が生きているかぎり、ラースカはここから生きて外に出ることはないと」。

物語の終盤に至り、驚くことが明らかにされます。モドラーチェクの地下室には、何ということでしょう、「1953年の半ばには、もう21人の同居人がいた」のです。「建築家は21人を捕まえただけでなく、かれらの世話もしなければならなかった。そればかりか、すべてを完備した自立した世界をつくらなければならなかった。もちろん、すべてというわけにはいかなかったが」。

「口にするのはすこし恥ずかしいが――ユートピアの島だ。地下にあるユートピアの島! モドラーチェクはようやくそれを使命と捉えたんだ。妹の殺害者をつかまえ、終身刑とすることで、亡くなった妹と交わした約束、誓約を果たした。けれども、同時に、偶然が重なり、いろいろな動機が絡み合い、上にあるものから人間の模範のようなものを守るという自身の使命が徐々に広がりを見せはじめた。その21人の住人として、様々な社会階層、職業の異なる個人を選び、捕獲した。そうやって、地下で多様な課題を解決しようとしたと同時に未来の、よりよい社会のモデルとしようとした。ノアの箱舟? そのとおり。上の世界がなくなり、洪水が終わったら、かれが守ることができたものたちとまた上に戻ることになると。いいかい、上では、マルクス主義の大きなユートピアが猛威を振るっていて、下では、歩道の下、警察のすぐ近くでは、それとは異なる小さな、私的なユートピアが猛威を振るっていた」。モドラーチェクは実験的な「水平地下都市」の建設を目指していたのです。

最終段階では、淡々とした筆致で、さらに恐ろしいことが記されています。

相次いで全体主義に翻弄された人間にしか書けない、鬼気迫る小説です。