榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

東京駅の丸の内側は武家屋敷、八重洲側は町人の町だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(844)】

【amazon 『ブラタモリ(2)』 カスタマーレビュー 2017年8月12日】 情熱的読書人間のないしょ話(844)

散策中、ハツユキソウを見かけました。縁が白く彩られた緑の葉が風にそよぎ、涼しげです。白い小花が咲いていますが、あまり目立ちません。あちこちで、タカサゴユリが咲いています。因みに、本日の歩数は10,522でした。

閑話休題、東京で育ち、何十年も首都圏で暮らしているのに、私は東京駅の地下街でしょっちゅう道に迷ってしまいます。『ブラタモリ(2)――富士山 東京駅 上田・沼田』(NHK「ブラタモリ」制作班監修、KADOKAWA)の「東京駅の巨大地下空間は歴史の生き証人!?」で、いろいろなことを学ぶことができました。

「日本の首都・東京の玄関口として進化し続けている東京駅。その進化は、地上だけではなく、地下にも及んでいます。いま東京駅の地下には、総延長18kmの世界にも類を見ない巨大な地下街が広がっています」。

「赤レンガ駅舎のある丸の内口と、新幹線側の八重洲口。この2つのエリア、地下空間の成り立ちがまったく違うんです」。

「江戸時代に入ると、ここ丸の内には大名の藩邸(武家屋敷)が多く建ち並び『大名小路』とも呼ばれていました。『江戸時代の地図と現在の地図を見比べてみると、あることがよくわかるんです』と粕谷さん。武家屋敷が整然と並ぶ江戸時代の土地割と、現在のオフィスビル街の土地割を比べてみると、なんとほぼ重なりました。丸の内には、400年前の『大名小路』の土地割が現在も残っているのです」。

「江戸時代には、京橋、日本橋、銀座へと広がる大商圏の一部として発展した八重洲。当時の地図を見てみると、武家屋敷が整然と並ぶ丸の内と比べて土地割が細かく、町人の町だったことがわかります。・・・土地割が細かく地権者が多い八重洲口周辺は、地上ではなく、公共道路の下の地下が開発の対象になったのです。・・・現在、八重洲地下街の店舗数は約180。活気あふれる『町人の町』は、時代に合わせて進化と変貌を遂げながら、今も発展を続けています」。