榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

明治以降の作家47名が愛した物、食、場所とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(900)】

タカの渡り観察会に参加しました。8:30からの2時間に、繁殖地の日本から越冬地の東南アジアを目指して、多数のタカ――サシバ72羽、ハチクマ1羽、ツミ1羽――が渡っていきました。タカの観察中、モズを見つけました。2017年4月に、千葉・野田の飼育施設で生まれ、6月に放鳥されたコウノトリの雄の若鳥が、田んぼで獲物を捕らえるところをカメラに収めることができました。因みに、本日の歩数は10,272でした。

閑話休題、『文豪と暮らし――彼らが愛した物・食・場所』(開発者編、創藝社)では、明治以降の作家47名が愛した物、食、場所が紹介されています。

川端康成のお気に入りの場所は、伊豆・天城湯ヶ島の温泉旅館「湯本館」です。「『湯本館』を訪れたのは、彼がまだ作家になる前の大正7年、東京帝大の学生で20歳の頃であった。川端はその旅で、一人の若い踊子と出会った。川端が泊まる湯本舘に、旅芸人一行が訪れたのである。翌日、川端は天城峠の茶屋でその若い踊子と再会。南伊豆から下田までの1週間ほどの道程を同行した。かの名作『伊豆の踊子』は学生時代の川端の実体験をモチーフとして綴ったものであり、その始まりの地となったのが湯本館なのである。また、執筆そのものも同旅館の5号室でおこなっている。・・・昭和2年までの間、川端は毎年、湯本館を訪れた」。

堀辰雄のお気に入りの場所は、軽井沢の「軽井沢つるや旅館」です。「昭和8年の滞在時、堀は矢野綾子と知り合い、婚約。彼女との交流をもとにして『美しい村』『風立ちぬ』という名作を完成させた。堀にとって軽井沢とつるや旅館は、単なる執筆の場ではなく、人生の中で最も大事な時間を過ごした心の郷里と言えるのではないだろうか」。

小林多喜二の場合は、厚木・七沢温泉の「福元館」です。「(昭和6年、湯元館に)1カ月ほど滞在したが、これは執筆活動をするという以外の目的もあった。治安維持法によって起訴、収容されて同年1月に刑務所から出たばかりの小林の周りには特高警察の姿があり、その監視の目から逃れるためという狙いがあったのである。小林が滞在したのは、高台にある離れの部屋。ここで小林は小説『オルグ』を書いた。・・・もし、特高警察にばれれば、自分たちまで逮捕されるかもしれない。それとわかっていながら、(館主の)憲司らは小林を受け入れた。・・・小林の背中に拷問の傷があることを知り、湿布薬を貼っていた女将のヤエは、次の女将となる喜代子に『小林がこの宿にいたことは決して口外してはいけない』と伝えている。小林だけでなく、福元館の女将たちもまた毅然と戦い続けていたのだ」。

井上靖に大きな影響を与えた場所は、上高地の「徳澤園」です。「(ナイロン・ザイル)事件をモチーフとした新聞小説『氷壁』には、徳沢小屋という宿が出てくるが、これは実在する宿『徳澤園』をモデルとしている。井上は『氷壁』執筆を機に登山に目覚め、この徳澤園を定宿としていた。・・・『山』を題材にした優れた作品群の出発点であり、また、井上の創作と趣味にかけがえのない存在だったのが、この徳澤園なのである」。

昭和文壇の名だたる作家たち――川端康成、三島由紀夫、山口瞳、遠藤周作、吉行淳之介、池波正太郎など――が「缶詰」になったのが、神田駿河台の「山の上ホテル」です。「ホテルとして開業したのは昭和29年のこと。開業当初は外国人客が多かったが、近くに出版社が多く、周囲にめぼしいホテルがなかったことから、いつしか作家たちが『缶詰』にされる定宿となっていった。・・・山の上ホテルに足を踏み入れるとどことない落ち着きに包まれる。室内の静寂は作家たちを集中させるに恰好の空間だったに違いない。文豪たちが愛した宿は、今も文学ファンの憧れであり続けている」。私も仕事で山の上ホテルを何度か使ったことがありますが、しっとりとした気品が漂う小さなホテルです。