戦国時代の日本にやって来た中国人・鄭舜功のルポルタージュ『日本一鑑』とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3086)】
タカの渡り観察会に参加しました。観察会リーダーの紺野竹夫さんの集計では、本日渡ったのは、サシバ75羽、ツミ2羽、ヒヨドリ85羽とのこと。残念ながら、渡っていったサシバの72羽の一群や、ツミ、ノスリは撮影できませんでした(涙)。それでも、不鮮明だが、サシバ(写真1、2)、トビ(写真3~5)、ハヤブサ(写真6、7)、チョウゲンボウ(写真8、9)、モズの雌(写真10)、ムクドリ(写真11)をカメラに収めることができました。ミズアオイ(写真13、14)、コウホネ(写真15、16)が咲いています。
閑話休題、『戦国日本を見た中国人――海の物語<日本一鑑>を読む』(上田信著、講談社選書メチエ)は、日本にやって来た中国人が当時の日本と日本人を観察・調査し記録した文書『日本一鑑』を読み解くというユニークな一冊です。本書は、稀有な文書の読解に挑戦した稀有な本といえるでしょう。
『日本一鑑(にほんいっかん)』の著者は中国人(明人)の鄭舜功です。「『大倭寇』が頂点を極めた1556年に、鄭は海を渡って日本に赴き、日本の言語・地理・文物・文化を調べ、日本人と交流し、日本ならびに日本人の実情を理解しようとした。日本人は、中国の感覚からすれば凶暴ではあるものの、そこには秩序があり、折り合いをつけることができる、鄭はそう確信して、日本と中国とのあいだの国交を回復させようとした。その提言は帰国後に顧みられることはなく、著されたその書は、刊行されることなく、いくつかの写本で後世に伝えられるのみであった。16世紀以降、『日本一鑑』の存在は忘れられていた。20世紀に入り、軍事強国化する日本と中国が対峙するようになるなかで、ようやく注目されるようになったようである」。
「戦国時代の日本を異文化の視点から相対化するものとして、南蛮人と呼ばれるイエズス会宣教師たちが残した記録が広く知られている。イエズス会はヨーロッパと異なる社会のなかで組織的に布教するために、見聞を報告書としてまとめ、保存する規定を定めていた。その圧倒的な情報量から、南蛮と呼ばれたポルトガル人やスペイン人の影響が実態よりも過大に評価されてきたように思われる」。
「しかし、鄭舜功が記した『日本一鑑』を読むと、中国と日本とのあいだを往来した渡海者たちの圧倒的規模が、日本を中世から近世へと転換させるうえで重要な役割を果たしたことが分かってくる」。
「日本滞在中に鄭舜功は、先入観なく日本人の生きざまをつぶさに観察した。さらに、その政治体制や文化についても関心を寄せている。倭寇を鎮めるために、その(自分の)配下のものを京都に派遣しており、中国から日本の京都にいたる海路について、類書にはない情報を提供してくれるのである」。
「本書では訪日中国人の手になるこの稀有な著作『日本一鑑』から、戦国時代の日本の実像に触れた箇所を抜き出していく。そこには、同時代の日本人が当たり前として記録しなかった日本人の姿や、日本人と接触した歴史の浅い西洋人が見落としている日本人の感性を読み取ることができる。本書を機にこの日本ルポの存在を知っていただければ、不遇な運命に翻弄された鄭舜功も喜ぶであろう」。
「16世紀なかば、嘉靖大倭寇に襲われた中国は緊迫した情勢のなかにあった。鄭は中国は明国の『布衣』、つまり無位無官の身でありながら、緊張緩和の路を探るという志を立てて日本に渡り、半年のあいだ情報収集を行うとともに、日本の有り様をつぶさに観た。しかし帰国するも、鄭の功績は認められず、投獄される憂き目にあう」。
浅学の私は、本書で初めて『日本一鑑』と鄭舜功のことを知りました。