榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

戦国時代の流行歌に漂う無常感、人々の恋する気持ちに共感・・・【情熱的読書人間のないしょ話(962)】

【amazon 『戦国時代の流行歌』 カスタマーレビュー 2017年12月9日】 情熱的読書人間のないしょ話(962)

東京・葛飾の水元公園の近くで、オナガ3羽を見つけ、1羽をカメラに収めることができました。公園では、コサギを3mの近さから見ることができました。紅葉したメタセコイアが水面に姿を映しています。並木は外国映画の一シーンのようです。因みに、本日の歩数は16,257でした。

閑話休題、『戦国時代の流行歌――高三隆達の世界』(小野恭靖著、中公新書。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)で、戦国時代の流行歌、隆達小歌の世界を初めて知りました。

「多くの恋歌を擁した当時(室町時代後期)の流行歌に、隆達節と呼ばれる一群の歌謡がありました。隆達節は堺の町衆だった高三隆達(たかさぶ・りゅうたつ)が節付けして歌い広め、室町小歌の最後を彩った流行歌です。隆達節は文学史の上では『隆達節歌謡』『隆達小歌』などと呼ばれ、文禄・慶長年間(1592~1615)に、上方を中心とした西日本を席巻しました」。

「伴奏楽器には一節切と呼ばれる小型の尺八が通常用いられました。それは管に用いる竹の節が一つだけの短い尺八の名称です。隆達節はまた、扇拍子と合わせて歌われることも多かったようです。扇拍子とは扇を打ち鳴らして取る拍子のことを指します。さらに隆達節が流行する直前の時代には三味線も渡来しました。隆達本人が三味線を使ったかどうかは不明ですが、隆達節が三味線を伴奏として歌われることもあり、それを反映した近世小唄調(3・4/4・3/3・4/5)の音数律に乗った歌謡も残されています」。

「歌われたテーマは恋愛を歌うものが圧倒的に多く、5百首余のうち恋歌は、実に7割以上を占めています」。

私の印象に残った隆達小歌を挙げてみましょう。

●文は遣りたし、伝手はなし、思ふ心を夢に見よ君(あなたに手紙を渡したいが、その伝手もない。私が恋しく思っているその心を、あなたは夢に見てほしいものよ)。

●切りたけれども、いや切られぬは、月隠す花の枝、恋の路(切りたいのに簡単に切ってしまえないものは、月を隠す満開の桜の枝、そして何と言っても恋の路であることよ)。

●誰が作りし恋の路、いかなる人も踏み迷ふ(いったい誰が作ったのか、恋の路というものを。どんな人でも必ず踏み迷ってしまう路であることよ)。

●譬へごとには便なけれども、身の影法師に君を成して添はいで(譬えにはふさわしくはありませんが、あなたを私の影法師にして、いつも一緒にいたいのに、それができないことが残念です)。

●雨の降る夜の独り寝は、いづれ雨とも涙とも(雨降る夜に、恋人の訪れを待ちながら、寂しく独り寝をしていると、どれが雨粒で、どれが私の流す涙かの区別がつかないことです)。

●逢ふ時は秋の夜も早明け易や、独り寝る夜の長の夏の夜(二人で逢っていると、秋の夜長もすぐに明けてしまいます。しかし、独り寝をすると、短いはずの夏の夜でさえも、長く感じられることです)。

●とても名の立たば、宵からおりやれ、よそへ忍びの帰るさは嫌(どうせ二人の恋の噂が立つならば、いっそのこと宵のうちから来てください。他の女性のところからの帰り道に立ち寄られるのは嫌です)。

●帯を遣りたれば、し馴らしの帯とて非難をおしやる、帯がし馴らしならば、そなたの肌も寝馴らし(帯を贈ってやれば、使い古しの帯だと言って非難するおまえ。その帯が使い古しと言うのなら、おまえの肌こそ、いろいろな男と関係を持った使い古しの肌ではないか)。

●比翼連理の語らひも、心変はれば水に降る雪(比翼連理の仲睦まじい語らいも、心変わりをすれば、まるで水に降る雪のように、何とも儚いものです)。

●笑止や、うき世や、恨めしや、思ふ人には添ひもせで(辛いなあ、苦しいなあ、恨めしいなあ、思いをかけるあの人と結ばれないなんて)。

●千度百度おしやるとも、成るまじものを、現なのそなたや、我に主ある、思ひ切れとよ(何百回、何千回言い寄っていらっしゃっても、二人が恋仲になれるはずがありません。あなたはなんて非現実的なことばかり言うのでしょう。私には夫がいるのですもの。あきらめてくださいよ、だってさ)。

●うき世は夢よ、消えては要らぬ、解かいなう、解けて解かいの(この世は夢のように儚いものです。命が終われば何も必要なものはありません。ですから、あなたと思いの限り打ち解けたいものです)。

●ただ遊べ、帰らぬ道は誰も同じ、柳は緑、花は紅(ただ夢中で遊ぶがよい。誰の人生にも戻り道はない。それは柳が緑色で、花が紅色であるように、自明のことよ)。

●花よ月よと暮らせただ、ほどはないもの、うき世は(桜の花が咲いた、月が美しい、と言って楽しく遊び暮らすがいいよ。どうせ、人生なんて儚いものなのだから)。

当時の人たちが、来世など信ぜず、人生は一度きりという無常感に首まで浸されていることに驚きました。そして、恋する気持ちは昔も今も変わらないなと感じました。