榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

「北」中心の世界史でなく、「南」を含めた複眼的世界史を学ぶべきだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1016)】

【amazon 『南からの世界史』 カスタマーレビュー 2018年2月3日】 情熱的読書人間のないしょ話(1016)

東京・杉並の浜田山、高井戸を巡る散歩会に参加しました。宝昌寺の参道には、まだ雪が残っています。松林寺には、天和3(1683)年銘のある青面金剛が祀られています。尾崎熊野神社のご神木は、樹齢400年と言われるクロマツの巨木です。街角に、元禄11(1698)年銘の地蔵塔(右)、宝暦10(1760)年銘の馬頭観音塔(中)、宝暦3(1753)年銘の地蔵塔(左)が並んでいます。宝永5(1708)年銘の笠付き庚申塔もあります。杉並児童交通公園では、D51形蒸気機関車が静態保存されています。因みに、本日の歩数は20,468でした。

閑話休題、『南からの世界史――北に覆われた南の浮き沈み』(佐々木寛著、文芸社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、西洋中心・「北」中心の単眼的世界史でなく、「南」も包含した複眼的世界史を学ぶべきだという立場から記されています。ここでいう「北」とは、必ずしも地理的な北を意味せず、文明の先行地域を指し、中国を核とする東アジア文明、インドを核とする南アジア文明、イスラームを核とする西アジア文明も、「北」として扱われています。一方、「南」は、具体的にはアフリカ、東南アジア、オセアニア、ラテンアメリカを指しています。

アフリカの歴史では、奴隷貿易が注目されます。「黒い王国の繁栄に終止符をうち、アフリカに荒廃と仮死をもたらしたものは奴隷貿易にほかならなかった」。「アフリカ沿岸に到達したポルトガル人は、かつてあれほどの妄想を生んだ黄金が、交易ルートの関係で海岸地方へあまり流れてこないことを知って幻滅に終わり、それに代わって彼らを引きつけたのは黄金に匹敵する価値を持った黒人奴隷であった」。

本書のおかげで、アフリカが黒人奴隷を供給し続けた背景が分かりました。「奴隷貿易は17世紀から18世紀に最盛期を迎え、アフリカから多くの強壮な男子を中心とした黒人人口が失われた。途中の死亡者を除いて150万から250万の黒人がアメリカに運ばれたという。奴隷貿易はアフリカの人口を激減せしめたのみならず、奴隷獲得の競争を惹起せしめ、多くの黒人王国を自滅に追い込み、アフリカの生産力の発展を麻痺させた。奴隷と引き換えにヨーロッパ商人がアフリカの首長に渡したのは火器や火薬であった。黒人王国は奴隷としての捕虜を得るために互いに勢力を争い、勝利を得るためにより多くの火器を必要とした。ところでその火器はヨーロッパ商人が奴隷と引き換えにしか売ろうとしなかった。かくてここに奴隷獲得のための悪循環的な戦争が、とめどもなく行われ、アフリカは内部から崩壊していった」。需要サイドだけでなく、供給サイドのアフリカにも、それなりの理由が存在したのです。

東南アジアに最初にもたらされた仏教は、大乗仏教だったという記述には驚かされました。「東南アジアに最初に入った仏教は、大乗仏教であり、ヒンドゥー教と並んで古代諸国の王権を支えた思想であった。しかし13世紀に入ると、これらヒンドゥー文化を担った王・貴族の没落とともに衰弱し、セイロン経由の上座部仏教にとって代わられることになった。・・・以後上座部仏教はビルマ、タイ、カンボジア、ラオスの各王朝によって引き継がれ、王権思想という点で変わりないが、ヒンドゥー教、大乗仏教に比してより多くの民衆を吸引し今日に至っている」。上座部仏教は、小乗仏教という蔑称で知られています。

オセアニアの歴史では、ここが流刑植民地であったことを忘れるわけにはいきません。「オーストラリアはイギリスがクックの探検したオーストラリア東海岸を1786年ニューサウスウェールズ植民地と宣言したことに始まる。1788年に初代総督としてアーサー・フィリップが任命され、流刑囚780名を率いてシドニーに上陸して以来、流刑植民地という特異な植民地として出発した。ィギリスは死刑を免除する代わりに重罪犯をここに流し、強制的開拓に従事させた」。

「19世紀初頭、牧羊業の導入が成功して以来発展し、1850年代のゴールドラッシュにより急発展した。本国からの自由移民も増え、開発が進むと、原住民のアボリジニは砂漠化した内陸部へ追いやられ、18世紀後半約30万人いた人口は20世紀初頭には約5万人に激減した。その属領のタスマニアなどは凶悪犯の流された地で、その脱走者が島の原住民を殺戮し全滅させたほどである」。何と惨たらしいことでしょう。

ラテンアメリカの古代文明は、他の文明とはかなり異なっています。「ラテンアメリカの古代文明は、オリエント文明などの旧大陸の古代文明とはかなり異なった面があり、そのユニークさを押さえておきたい。古代文明というと、文字と金属器の使用がその指標のように考えられているが、アンデス文明では、インカのように数字を記録するキープ(結縄)はあっても、文字はなく、文字による記録なしに巨大な石造建築、道路、橋、灌漑などの土木工事を行い、南北3000キロを超える大帝国を統治することができた。一方、金属器に関しては、アンデス文明では紀元前にさかのぼる先古典期には金・銀・銅などを少なくとも装身具の類に加工する技術はあったが、マヤなどのメソアメリカ文明では、紀元前10世紀より以前に金属器のつくられた形跡は見られない。石器だけの幼稚な技術をもって、複雑な神聖文字、天文暦数の高度な知識と洗練された芸術を生みだしている」。

さらに、文明の起源についても特異です。「旧大陸の古代文明は乾燥した大河の流域に発生しているが、メソアメリカでは、熱帯雨林のジャングルの中で開花している。旧大陸の古代文明が乾燥地帯の大河流域における水との戦いであったのに対し、マヤ文明の場合は、生い茂るジャングルとの戦いであったともいえる」。簡にして要を得た説明によって、ラテンアメリカの古代文明の特異性が明らかにされています。

本書を読んで、私たちがいかに「南」の歴史に疎いかを思い知らされました。