離婚が妻と子供に与える影響について考えさせられる小説・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1026)】
長野の諏訪湖にコハクチョウが飛来しています。羽が灰色っぽい幼鳥もいます。結氷した湖面に5年ぶりに出現した御神渡りを見ることができました。湖畔では、D51形蒸気機関車が静態保存されています。諏訪大社の下社・春宮には御柱が2本建てられています。因みに、本日の歩数は10,802した。
閑話休題、中篇小説『ウホッホ探険隊』(干刈あがた著、朝日文庫)を読んで、離婚が妻と子供に与える影響について考えさせられました。
「『ああ、家庭が複雑の上に、こんなアホの母子家庭でよいのだろうか。せめて僕だけはマトモな人生を送りたい、うーむ』。君(長男の太郎)はガードレールに腰かけて<考える人>のポーズを取った。・・・クリスマス・ツリーの電飾がキラキラと輝き始めた黄昏どきの歩行者天国で、人の群の間をすり抜け、流れに逆らい、(次男の次郎を含めた)私たち三人はぴったり息の合った芝居を演じていた。離婚家庭が暗いとは限らないというテーマの、幼くやわらかな抵抗劇。一人がふと気持をはぐらかせば、たちまちカスリ傷やヒッカキ傷から血のにじむ危うさを秘めたドタバタ劇を、君たちはしなやかに演じていた」。
「君たちは寄る辺のない気持だったことだろう。不在の父と、父を待つ気持を失った不安定な母との間で。それまでのように『お父さんはお仕事で忙しいの。人の二倍忙しいから、お母さんが二倍遊んであげる』と、路地でボールを蹴り合ったり、拳が赤く晴れるまでボクシングの相手をするようなことが少くなってきた母親は、そのかわりファースト・フードの店でフライドチキンを買ってきたり、出前のラーメン餃子など取って、喜ばれるという皮肉な目にあった。父親のいない家の中はだんだん荒涼としてきた」。
「ありふれたガラクタをたちまち魅力的な玩具にしてしまい、それで遊ぶ君たちの生き生きとした手の動きや表情を傍らで見ていると、私はだんだん気力を失っていく自分に、そこからだけ生命力を注ぎ込まれているような気がした。門扉を打つ風の音を聞きながら、このままの平安がつづくのなら、このままでもよいと思っていた。だが、妻が子供にだけこころを開いている家には、夫はますます帰りにくくなる。そのからくりを、君は敏感に感じ取っていたようだ。子供に魅せられている母親は、ほかならない君たちによって、手痛い反撃を受けなければならなかった」。
「君の焦立ちが、父親と自分とを隔てている靄のように感じられる母親に向っている、その直感の正しさを知りながら、私は父親に『帰って来てください』とは言わず『私は子供と暮して時々あなたが子供たちに会いに来る、今のままの形でいいから、ただ私とあなたはもう夫婦じゃないというふうに、二人の間だけで出来ないかしら』と言う母親だった」。
「『お母さんは、もうお父さんが嫌いなの。別れたいと思うの』と君は聞いた。私は黙っていた。『もし別れたかったら、別れてもいいよ。でも僕は、別れてもお父さん好きだよ』。『わかってる』。私は君の肩をなでた」。
「『ごめんね。お父さんはね、君たちのことはとても好きなの。本当は毎日、君たちのことを気にかけて、顔を見たいと思ってるの。でも、お母さんと仲よく出来ないから、それであまり家に帰って来なかったの』。どう話したらよいのかわからなかった」。
「十五年間いっしょに暮しながら、お互に望んでいたこと、感じていたことが、これほど違っていたのかと愕然とした。これでよかったのだと、気持がしんとした。別れを別れとして、その後のことを考えていく上では、彼(夫)はやさしかった。『お父さんは、なんで別の人を好きになったのかなあ』と君が言った。『いろいろあるみたいよ。言われちゃった』。『どんなこと』。『言いたくない。秘密』。『一つだけ言ってみて』。『大きくなったら、お父さんと君たちと三人でお酒でも飲みながら、お母さんの悪口言ってみるといいわ。意見が合うと思うわ』。『ドジ』。『美人じゃない』。『短足。ペチャパイ』。そんな風に君たちと話せることで、私はとてもしあわせだった。君たちと離れているお父さんのさびしさを思った。『でも、お父さんと結婚してよかった。二人を産めたから』。『そうだよね。他の男だったらタネが違うもんね』と君。『ヤダ。それ以上言わないで』」。
干刈あがたが、都立富士高で私の2年先輩ということは知っていたのですが、作品を読んだのは今回が初めてです。もっと早く手にしておけばよかったと後悔しています。