榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

イスラム教の歴史を俯瞰するのに最適な一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1041)】

【amazon 『図説 イスラム教の歴史』 カスタマーレビュー 2018年2月28日】 情熱的読書人間のないしょ話(1041)

メジロがカンヒザクラ(ヒカンザクラ)の花の蜜を吸っています。カンヒザクラは濃紅色の花が俯いて咲きます。シダレウメが花を付けています。因みに、本日の歩数は12,723でした。

閑話休題、『図説 イスラム教の歴史』(菊地達也編著、河出書房新社・ふくろうの本)によって、複雑なイスラム教の歴史を俯瞰することができました。なお、「イスラム教」は「イスラーム」と、「コーラン」は「クルアーン」と表現すべきだが、敢えて人口に膾炙している「イスラム教」「コーラン」と表記したと断っています。

スンナ派について。「彼ら(=スンナ派)が作り出したカリフ論は、血統をカリフの要件としない平等主義のハワーリジュ派や、イマーム位はアリー(=預言者ムハンマドの従弟にして、娘婿)家内でのみ受け継がれるとするシーア派と一線を画し、カリフの出自条件をクライシュ族とすることで、正統カリフだけでなくウマイヤ朝、アッバース朝の世襲カリフ政権をも合法化した。スンナ派カリフ論はカリフ個人の徳よりもむしろ法学上の手続きをカリフの条件として重視し、そうすることで現実の政治状況だけでなく過去の歴史をも追認したのである」。

シーア派とイランについて。「シーア派の歴史観によれば、自派の成立は預言者ムハンマドの生存時に遡る。預言者は現サウディアラビアのガディール・フンムで彼の従弟で娘婿であるアリーを後継者として指名したとされ、アリーを支持し、彼に追従した集団が『シーア派』と呼ばれた。シーア派では、預言者ムハンマドの後継者を『イマーム』と呼び、アリーが初代イマームとなったと考える。シーア派の『イマーム』とスンナ派の『カリフ』は、どちらもイスラム共同体の長を指す一方で、その役割は大きく異なる。スンナ派の『カリフ』は政治における長であり、宗教的事柄への特権を持たない。それに対して、シーア派におけるイマームとは、世俗の権力を保持するか否かに拘わらず、いかなる罪と誤りからも免れた無謬の存在であり、預言者の知識を引き継ぐ絶対的な宗教権威とされる」。

「第二次世界大戦中にはイランはイギリス、ソ連の半植民地と化した。1941年、英ソの圧力でレザー・シャーが退位し、モハンマド・レザー・パフラヴィーが王位についた。彼は独裁政治によるイランの近代化を目指してアメリカに接近し、イランは中東における親米大国に成長した。・・・このような状況下で、不正な国王を排除し、イスラム教の原理に基づく国家の建設を目指したにが、ホメイニーである。・・・ホメイニーは多くのイラン人の支持を受けてイランの最高指導者になった」。これがイラン革命です。

「イランは様々な形で(レバノン、イラク、インドネシアなど)国外のシーア派への支援を行ってきた」。

サラフ主義と「イスラム国」について。「サラフ主義は、7~8世紀の初期世代を模範とし、その時代の純粋なイスラム教を理想とみなす思想である。・・・サラフ主義(サラフィー主義)と呼ばれる思想潮流は、実は2つ存在する。どちらもサラフ主義と呼ばれるので、両者の混同がしばしば生じる。サラフ主義は先達を理想視する思想だが、何を先達の特徴とみなすかによって、その理想の内実は変わる。一方は進取の精神による近代化を、他方は宗教的伝統の固守を先達の特徴と考えた。それゆえ、これら2つのサラフ主義は異なる思想潮流に属する」。

「(2つあるうちの)1つのサラフ主義は、『コーランとハディースを規範およびその典拠として固守する』思想である。・・・8世紀にアラビア半島で誕生したワッハーブ派が、このサラフ主義を代表する。・・・同派は、イスラム教スンナ派内の一派であり、ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブが創始したので、彼の名前からワッハーブ派と呼ばれる」。

「原初的なイスラム教への回帰を目指すイブン・アブドゥルワッハーブは1744~45年、アラビア半島内陸部のナジュド地方の豪族ムハンマド・イブン・サウードと同盟を結んだ。これによって、以後イブン・アブドゥルワッハーブおよび彼の子孫(=シャイフ家)が宗教を担い、イブン・サウードおよび彼の子孫(=サウード家)が君主として政治を担う分業体制が成立した」。

「ワッハーブ派は非イスラム教徒や、同派(の属するスンナ派)以外のイスラム教徒に対して敵対的姿勢を取る。これは宗派差別主義であり、また、(国境線に基づくものではないが)一種の排外主義と言える。・・・ワッハーブ派はシーア派を敵視し、自分たちと同じイスラム教徒とは認めていない」。

「ワッハーブ派に代表されるサラフ主義は一枚岩ではなく、内部には多様性が存在する。・・・(このうちの)ジハード志向型は、1980年代のアフガニスタンでの対ソ連戦争(ジハード)を契機に出現したとされる。その代表例は、アルカーイダ創設者のウサーマ・ビン・ラーディンや『イスラム国』(IS)の前身組織の創設者アブー・ムスアブ・ザルカーウィーである」。

「『アラブの春』とシリア内戦に伴う混乱に乗じて、2014年、イラクとシリアにまたがって『イスラム国』が出現した。『イスラム国』は、イスラム主義組織であり、同時に、ジハード志向型サラフ主義組織である」。

本書のおかげで、何とか、イスラム教の国々を理解するスタート・ラインに立つことができました。