榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

絵巻物『蒙古襲来絵詞』が伝える蒙古襲来の生々しい実態・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1053)】

【amazon 『蒙古襲来と神風』 カスタマーレビュー 2018年3月11日】 情熱的読書人間のないしょ話(1053)

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閑話休題、『蒙古襲来と神風――中世の対外戦争の真実』(服部英雄著、中公新書)では、鎌倉時代中期に日本が経験した対外戦争――2度に亘る蒙古襲来、文永の役と弘安の役――が考察されています。

同時代史料の検証を踏まえて、台風が吹き、文永の役では敵軍が一日で退散し、弘安の役では集結していた敵船が沈み全滅したとする通説が明確に否定されています。

「いまも、『文永の役では蒙古軍は嵐のために一夜で退却した』と書いている教科書が複数ある。ところがそうした記述は、歴史書のなかにはただの1点もない。どこにも書かれていないのだ」。文永の役は、一日では終わらなかったのです。

「竹崎季長武勇伝である『蒙古襲来絵詞』には、季長の行動しか描かれていない。ところで『絵詞』中に、敵に奪われた志賀島が登場する場面がある」。台風による敵船全滅といった楽な戦いではなかったのです。

本書の圧巻は、文永の役、弘安の役で実際に敵と戦った肥後国の御家人・竹崎季長(すえなが)が描かせた『蒙古襲来絵詞(えことば)』を読み解くことによって、蒙古襲来の真実に肉薄していることです。なお、季長は文永合戦時には29歳でした。

元のクビライは、なぜ日本に攻めてきたのでしょうか。「第一次東征、すなわち文永の役段階で、クビライにとっての至上課題は、宋の打倒である。300年もの長きにわたって、中華帝国の主として君臨し続けた漢民族の国家・宋(南宋)を打倒し、自らのモンゴル民族の国家=元をアジア(世界)の盟主とすることが目標であった。ところが、敵国たる宋を支援し続ける国が日本だった。・・・軍事に関わる輸出品として重要なものが硫黄である。・・・火山のない中国では硫黄の産出はほとんどないが、火山列島である日本、特に九州には硫黄が豊富だった。日本は宋に火薬材料の硫黄を輸出し続けた。硫黄は軍需物資だから、その供給はぜったいに阻止せねばならない。クビライが宋を打倒するためには、まず日本を制圧し、支配下に置いて、硫黄つまり火薬を敵から奪う必要があった」。

『蒙古襲来絵詞』とは、どういうものでしょうか。「(『蒙古襲来絵詞』は)合戦に参加した御家人竹崎季長が、みずから指揮して絵師に描かせた絵巻である。絵詞すなわち絵と詞書(ことばがき)からなる。合戦に参加した当事者による絵画史料だから、これにまさる史料はないし、これほどに良質な14世紀の史料が残されたことは世界的にも例がない」。

「『蒙古襲来絵詞』には何が描かれているのか、本書では、これまでの研究者が誰も指摘してこなかった、新しい読み方を示す。読者はきっと本書の読み方に納得されるであろう」。

「『蒙古襲来絵詞』には台風(神風)のシーンはまったく描かれていない。多くの武士にとっては、台風(神風)なぞは関係がなかった。季長はこの絵巻にて、武士としての技量・力量を遺憾なく発揮しているが、つねに生命の危険にさらされていた。文永の役では、なんと敵兵の左目に自らの矢を中(あ)てている。きわだった弓の技量だった。しかし新たに現れた3人の敵兵に、わずか1馬身の距離から狙撃されている。瞬時の逆転で、絶体絶命だったはずである。弘安の役でも、能古島沖海戦、また志賀島潜入と、つねに勇敢に戦い、行動したものの、危機の連続、それを辛うじて切り抜けた。台風後の閏7月5日の合戦には、季長は首級2という、2度の戦いで最も大きな手柄を立てているけれど、それでも決して圧勝ではなかった。彼の腕には矢も中(あた)っている。回転しながら刺さる、何寸もある矢尻は、肉をえぐる。重症であった。その季長の絶体絶命の窮地を救ったのは、友軍の思いもよらぬ奇抜な攻撃である。臭すぎて鼻をつまんでもダメ、目もヒリヒリして開けられない。糞尿投擲作戦だった」。

弘安の役の一場面では、「季長の馬の尻の下に、茶色い塊がある。絵なのか汚れなのか。絵のようだし、馬糞のようでもある。ほかの馬にはない。リアルではあるけれど、コミカルでもある。いたずら心であろうか。季長絵詞には漫画的なところが随所にある」。

「戦いは台風の日には終わらなかった。竹崎季長を初めとする九州武士は、生命を賭して敵と戦い、薄氷の勝利を得た。辛勝だった。彼ら当事者に神風という感覚はなかった。『蒙古襲来絵詞』にも神風なる言葉はひと言も出てこない」。著者が一番言いたかったことは、これなのです。

私は、『蒙古襲来絵詞』という絵巻物の存在と、それを描かせた竹崎季長という御家人の名前を知っているだけという初歩的な段階でしたが、本書のおかげで、絵詞には何が描かれているのか、季長とはどういう人物だったのか――を学ぶことができました。