榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ベラスケスの幻の絵に一生を捧げた男を追跡して明らかになったこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1094)】

【amazon 『消えたベラスケス』 カスタマーレビュー 2018年4月20日】 情熱的読書人間のないしょ話(1094)

ツバメのカップルが協力して、子育てに一所懸命、取り組んでいます。ツツジのハナグルマが薄紫色の花を咲かせています。有毒のドイツスズランが、かわいらしい白い花をたくさんぶら下げています。因みに、本日の歩数は10,808でした。

閑話休題、『消えたベラスケス』(ローラ・カミング著、五十嵐加奈子訳、柏書房)は、至極真っ当なノンフィクションなのに、最初から最後のページまでワクワク・ドキドキさせられました。

「思いがけず出会ったのが、みずからを『田舎商人』と称するひとりの幸運な(不運なとも言える)男と、彼が愛した一枚の絵――長らく行方知れずになっていた『失われたベラスケス』――にまつわる数奇な物語だった」。その絵は、1623年にスペイン・マドリッドにてディエゴ・ベラスケスが描いた英国のチャールズ皇太子、後のチャールズ一世の肖像画です。

その男は、英国・バークシャー州の商業が盛んな町・レディングで書店を営んでいたジョン・スネアです。「チャールズ皇太子の肖像画を買った瞬間、ジョン・スネアの人生は方向転換した。1845年、行方知れずとなり誰にも顧みられず忘れ去られようとしていたその絵をスネアは救った。以来、彼はその絵を危機と盗難から守ることを余儀なくされ、絵に導かれるように、小さな田舎町での暮らしを捨ててロンドンの高級街へ、さらに大都会ニューヨークへと移り住み、無名の存在から紙面を賑わす有名人となった。スネアがどこへ行くにもたずさえていったその絵は、彼にとってこの世の何よりも――家族よりも、家よりも、自分自身よりも――大切な存在となり、彼を逃亡生活へ、お湯も出ない安アパートでの孤独な死へ、さらにはニューヨークの墓標もない墓へと導き、その人生をくるわせることになるのである」。

スネア自身が、彼の著書に、こう記しています。「私は目がくらむほど、この肖像画を見つめつづけた。そして頭が混乱するほど、この肖像画のことを考えつづけた。他を一切かえりみず、この肖像画が本物である証拠を見つけることに、私は人生を費やしてきた」。

本書は、ベラスケスの絵に取り憑かれた男の人生を追跡したノンフィクションですが、同時に、謎に包まれた巨匠・ベラスケスの生涯と作品を炙り出すことに成功しています。「ベラスケスは、とらえどころのない画家だと言われる。暗い天空に輝く星のように、遠く神秘的な存在だと。その人生は謎に包まれ、心は計り知れず、人物を生きているかのように描く天賦の才は理解を超え、彼自身が生身の人間ではなかったかのような印象さえ与える。そればかりか、死んだあともなお、彼は私たちの手をすり抜けていく」。スペイン政府による2つの教会での発掘調査にも拘わらず、彼が眠っている場所は未だに分かっていないのです。

「とはいえ、私たちはもちろんベラスケスの人間性を深く理解している。彼の絵がそれをはっきりと教えてくれるからだ。絵を見れば、彼がどこへ行き、誰と出会い、何を感じ、その目で何を見たかがわかる。(代表作の)<ラス・メニーナス>は、彼が内外にどう見られ、どう思われたかったかまで露呈している。私たちは、スネアがけっして得られなかったもの、作品を通じてベラスケスを知るチャンスを手にしているのだ」。

「ベラスケスの画風はじつにとらえどころがないが――当時はよく『魔法』と称された――そこからは多くのことが見えてくる。絵を見れば、彼がけっして他の画家を真似なかったこと、感性の力に抗わず、つねに独自の描きかたを貫いたことがわかる。作品はどれも独創的で、あらゆるジャンルに及んだ。それまで見たことがないような風景画、神聖さすら感じさせる静物画、リアルで人間味のある神話画。彼は新たな絵画空間と、見る者とのあいだに意識が通いあう新手の絵画を生み出した。彼の肖像画は、単なるリアルな生き写しではなく、まさにその瞬間に生きて思考し、何かを見つめ、感じているかに見える。対象を自分の目でじかに見ているような感覚にさせる筆力において、彼をしのぐ画家はいない。ベラスケスは絵画界の寡黙な革命児だ」。

「ベラスケスの作品は、まぶしいほどの輝きと同時に哀調を帯びた深みをもつ。一見相容れないこの2つの特徴が同居し、なおかつ、一方が欠ければどちらも存賊できないほどぴったりと寄り添っているところに、彼の作品ならではの神秘性がある。人生の真実、限りある命を与えられ、つかのま日の光の中を歩く儚い人生の真実を一瞬のみごとな筆の動きでカンヴァスにとどめた、今にもほどけてしまいそうな筆跡。絵、人、人生――すべてが、今にも消滅しそうなぎりぎりのところで、今この場にある。これこそが、人間が置かれた状態ではないだろうか」。

そして、最後の最後に至って、思いがけない事実が明らかになります。

絵画ミステリ的ノンフィクションとしても、ベラスケスの絵画論としても、読み応えのある一冊です。