ある出版人の団鬼六、阿佐田哲也との付き合いが興味深い・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1204)】
葉の縁が白く彩られているハツユキソウが涼しげです。クリの殻斗果が成長を始めています。因みに、本日の歩数は10,547でした。
閑話休題、『出版街 放浪記――活字に魅せられて70年――。』(塩澤実信著、展望社)には、興味深いことが書かれています。
著者が東京タイムズ社出版局の「スターストーリィ」編集部に所属していた時、初めの後輩が団鬼六だったというのです。「この編集部で私ははじめて、後輩編集者を持った。後年のSM文学の巨匠となる団鬼六である。当時は本名の黒岩幸彦を名乗り、翻訳要員として入ってきた。関西学院大出の黒岩は、大阪訛の巧みな語り口で、自らをつねに三枚目において相手を立てる一見幇間のような若者だった。・・・いまにして恰好をつけ、『今日の異端は明日の正統』と言う私だが、当時(私が週刊誌『週刊大衆』の編集長だった昭和30年代)は稿料も弾めずアイデアも貧困で、一流作家の門は叩けなかったのだ。そこで団鬼六、阿佐田哲也、川上宗薫、大藪春彦といった異端視されていた作家を起用、エンターテインメントに充ちた小説や読物、さらには特集記事を掲載することで実売部数アップに腐心していたのである。・・・『快楽なくして何が人生』の主張のまま生きた団鬼六と、野暮な私とは『水と油』の感があった。しかし、慣れ合いで、貶しあっていても、二人の間には、いたわりの友情があった」。
東京タイムズ社時代の同僚に、後に田中角栄の秘書となる早坂茂三がいたと記されています。
著者は阿佐田哲也とも深い関係で結ばれていたのです。「私が編集長を務める週刊誌(『週刊大衆』)で、(純文学作家志望の)鬼才・色川武大氏に懇願して『麻雀をやると徹夜になるから<朝ダ徹夜ダ>』と急ごしらえのペンネーム『阿佐田哲也』で、『麻雀放浪記』を連載していただいた。吉行淳之介に『これだけの面白い悪漢小説(?)には、めったに出会えるものではない』と激賞された傑作である。スタートするや大好評で、低迷久しかった掲載誌の伸長に絶大な貢献をしてくれたばかりか、実名では容易に筆をとらない『食客』色川氏の生活擁護? に、きわめて大きな役割をはたしたのである」。
著者自身が書いた処女作品が『出版社の運命を決めた一冊の本』(塩澤実信著、出版メディアパル。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)と知り、びっくりしました。私は、この本に痛く感銘を覚えていたからです。