榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

哲学者たちにとって歩くとはどういう意味を持っていたのだろうか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1318)】

【amazon 『歩行する哲学』 カスタマーレビュー 2018年11月29日】 情熱的読書人間のないしょ話(1318)

千葉・流山の石神仏を訪ねる会に参加しました。浄観寺には、驚くべき青面金剛塔があります。邪鬼を踏んだ青面金剛が左手に半裸の女(ショケラ)の髪を掴み、ぶら下げています。これは、地区の男どもが集い、徹夜で飲み明かす庚申の日に、残された女どもが浮気をしないよう戒めているのだと、田村哲三氏から説明がありました。猿田彦神塔(猿田彦の線刻)、大国天塔、妙見塔、光明真言塔、稲荷塔(蛇と狐)、疱瘡神塔、馬頭観音塔、浅間大神塔、筑波塔、御岳(みたけ)塔、成田道道標などを見て回ることができました。戦国時代の深井城跡には土塁跡が残っています。兵(つわもの)どもが夢の跡。因みに、本日の歩数は16,604でした。

閑話休題、『歩行する哲学』(ロジェ・ポル・ドロワ著、土居佳代子訳、ポプラ社)は、歩く哲学者である著者が、先達の哲学者たちにとって歩くとはどういう意味を持っていたのかを考察した著作です。

「歩くとき、私たちは身体と世界の直接的で裸のつながりを感じる。身体ひとつで支えも機械もエンジンもなしに、非力ではあるが粘り強く歩いていく。私の歩みはごく小さく、遅く、取るに足りない。ばかばかしいほど無力にも見える。だが歩みは繰り返され、継承され、つながり、積み重なっていく。地平線のかなたにあったものが少しずつ近づいてくる。一人、自分の力だけに頼って、私は世界の片隅を歩く。『哲学者として歩く』とき、私はこの脆さと、この強さの意味を知り、それがこのうえないものであることを理解する。歩くことの小ささが、大いなる誇りでもあることを理解する」。著者にとって、歩くことは、こういう意味を持っているのです。

「彼(モンテーニュ)もまた歩いた。しかも長時間。だがそれは人が考えるようなやり方ではなかった。確かに、彼はよく歩いた。子供時代を過ごしたペリゴールから、愛してやまなかったパリの街路まで、そしてボルドーからイタリアへ。人はよく彼が一日中馬に乗っているのを目撃したが、歩く姿はもっと多く、時にのんびりと、時に急いで、名士たちと一緒だったり、また一人で気ままに散策したり、といった具合だった。モンテーニュは歩くことが好きだった。自分でもそう言い、それを力説した。歩くことそのものではなく、歩くことが思考に引き起こす効果という点で、彼は足で考えた」。

「『歩くことは私(ルソー)の思考を活気づけ、生き生きさせる何ものかをもっている。じっとひとところに止まっていると、ほとんどものが考えられない。私の精神を動かすためには、私の肉体は動いていなければならないのだ』。ここにすべてが語られている。見たところ、ルソーという人は、モンテーニュやニーチェやその他の多くの哲学者と同様、歩く思想家で、頭を足に持っていて、自然の中を歩き回りながら、自らの思想を歩き回っていたように思われる」。ルソーの最後の著作『孤独な散歩者の夢想』(ジャン・ジャック・ルソー著、青柳瑞穂訳、新潮文庫)は、22歳の時、読んで以来、私の愛読書となりました。

「彼(ソロー)が歩いた時間は、日に4時間を下らなかったし、ある時期にはもっとずっと歩いた。一日中歩くこともよくあって、方角は様々だった。時には行き当たりばったりに、どこかへ行くためでなく、むしろ未知のものにちかづくために歩いた。ソローは何かを見つけること、今まで知っていると思っていた場所の奇妙さに突然気づくのが好きで、すでに歩いたことがあると思っていた場所に、孤立した農場や隠れていた森、秘密の川が現れたりすると驚喜した」。

「どんな哲学者もおそらく、歩くことにこれほどの時間と労力を割き、これほどの重要性を認めてはいない。ニーチェは、のちに病に倒れ、命は取りとめたものの、以後動けなくなってほとんど口もきけずに、晩年の10年間を車椅子で過ごすようになってしまうが、それまで一生涯歩き続けた。彼は思索し、執筆し、実際に生きたのと同じだけ歩いた。彼の散歩は長くて変化に富み、急斜面や高低差のある道、眺望の良い場所を好んだ。他のことにまして、彼が最後の輝きの瞬間まで繰り返したことがある。『この人を見よ』の中で、『戸外で自由に運動しながら生まれたのでないような思想――筋肉も祝祭に参加していないような思想は、信頼せぬこと』」。

毎日10,000歩以上、歩くことを実行している私は、もとより哲学者ではないが、歩くことに対する彼らの考え方に何度も頷いてしまいました。