第3のハシブトガラスを探す鳥類学者の調査行の記録・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1381)】
あそこ、と女房が指差す先を見上げると、アトリの群れがモミジバフウの実を啄んでいるではありませんか。胸部が橙色で、頭部が黒っぽいのが雄、胸部の橙色が薄く、頭部が灰色みを帯びているのが雌です。アカハラ(野鳥に造詣の深いFさんに問い合わせて判明)をカメラに収めることができました。ハシブトガラスが大声で鳴いています。因みに、本日の歩数は10,993でした。
閑話休題、『謎のカラスを追う――頭骨とDNAが語るカラス10万年史』(中村純夫著、築地書館)は、鳥類学者が第3のハシブトガラスを見つけるべく、樺太島(サハリン)と大陸の沿海州を調査した記録です。
ハシブトガラスには、ジャポネンシスとマンジュリカスの2亜種がいるが、この2亜種が交雑した第3のハシブトガラスが存在するのではないかというのが、著者の調査目的です。
「氷期には満州、沿海州、北海道は氷雪に覆われて、カラスは生息できなかったので南方に避難した。氷期が終わって温暖化すると北方への再定住が始まる。列島沿いに北上したのがジャポネンシスで樺太まで分布を広げた。朝鮮半島から沿海州沿いに北上したのがマンジュリカスで、間宮海峡沿岸部まで再定住していった。2亜種の境界線は間宮海峡で、日本列島と樺太にはジャポネンシスが生息し、大陸側にはマンジュリカスが生息している。このような構図を描き出したのが、ヴォーリェという偉大な鳥類学者である。・・・ジャポネンシスはマンジュリカスに比べ、圧倒的に大きいということである。前世紀の後半に樺太で鳥類の調査をしたロシア科学アカデミーのネチャエフは、マンジュリカスが海峡を渡って樺太北部に侵入している証拠を得た。彼は先住のジャポネンシスと一緒に繁殖している可能性があると考察した。事実とすれば、交雑帯があるということだ。樺太北部に本当に2亜種が出会って交雑帯がつくられているとしたら、樺太は進化の研究者にとってエル・ドラド(黄金郷)である。交雑帯を確認するだけでも金鉱(優良な研究フィールド)を掘り当てたことになるし、その後で交雑帯の繁殖生態を研究したら良質の金(論文)が沢山彫り出せるだろう」。著者の研究者としての野心に火が付いたのです。
「双眼鏡で見たくらいでは区別のできない、ハシブトガラスの2亜種、ジャポネンシスとマンジュリカス。交雑帯を確定するには(南北1000kmの樺太)島の北端から南端まで切れ目なしにカラスを採集して、頭部とDNA試料を集めるしかない」。
「十分な数の頭骨標本を使って交雑帯の位置を探したが、それらしきものは認められなかった。多くのDNA試料を使って2系統の存在を探ったが、結果は曖昧なものだった。大山鳴動して鼠1匹、交雑帯は無く、残ったのは初歩的な質問が1つ、樺太で採集してきた頭骨はジャポネンシスなのか、マンジュリカスなのか、それとも第3の亜種か?」。著者の無念さが伝わってきます。
「遂に大陸側のマンジュリカス標本が入手できた。全貌解明は簡単だと思って分析を始める。しかし、樺太標本の曖昧さは決着がつかない。ぬかるみ脱出のきっかけは異分野の人類学で開発された頭骨小変異という手法の導入だった。これで樺太・北海道間の曖昧さは片付いたが、(樺太、間宮海峡沿岸部、大陸の内陸部の3)地域間の形態の違いをスッキリ説明できない。パズルが解けたのは夜半の半覚醒状態下での閃き、係数倍というコンセプトに遭遇した時である」。
「待ち望んでいた北海道と樺太の結果は眼をみはるものだった。鮮明な差があった。頭骨小変異から見る限り、北海道と樺太は別物なのだ。北海道はジャポネンシス、樺太はマンジュリカスとう判定を下したのは2011年3月、桃の節句の頃だった。この結果と前年の結果を組み合わせると、樺太も、間宮海峡沿岸部も、内陸側2地域もすべてマンジュリカスとなる。ヴォーリェも、ネチャエフも間違っていた。2亜種の境界は(樺太と沿岸州の間の)間宮海峡ではなく、(北海道と樺太島との間の)宗谷海峡であった」。著者の苦難に満ちた調査行は、金鉱とまでは言えなくとも、大きな成果を収めたと評価してよいのではないでしょうか。
生物好きには、読み応えのある一冊です。