榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

江戸時代に性犯罪が少なかった理由・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1415)】

あちこちで、黄色い花が目を惹きます。マンサク、サンシュユ、フサアカシア(ミモザ)、オウバイ、セイヨウアブラナ(ナノハナ)をカメラに収めました。カワヅザクラは満開間近です。因みに、本日の歩数は16,366でした。

閑話休題、『歴史を知る楽しみ――史料から日本史を読みなおす』(家近良樹著、ちくまプリマー新書)の3つの記述が、とりわけ強く印象に残りました。

その第1は、司馬遼太郎を例に取り、歴史家(研究者)と歴史(時代)小説家の違いについて述べている箇所です。

「秀れた時代小説家になると、史料のない『空白』部分を、その豊かな想像力でもって生き生きと蘇らせる表現力を有しているので、登場人物が実際に、このような行動をしたり会話をかわしただろうと読者に思いこませてしまうことがあるのです。しかも悪いことに、歴史家と時代小説家では、影響力がまるで違います。僕のこれまでの体験からいえば、歴史家の影響力は、時代小説家のそれと比べると、およそ十分の一程度ではないかと思います。・・・司馬遼太郎さんの文学作品などは、いまでも100パーセント事実を記したものだと受け取っている人は多いです。・・・司馬さんは、史料に制約されないで奔放な執筆活動を時に展開した点で、史料に縛りつけられる研究者の一員と位置づけることはできません。これから時代小説を読まれる際には、こうしたことを念頭において、大いに楽しんで下さい」。

第2は、歴史学者には、その人なりの視点、発想が必要という考え方です。

「当時いまだうら若かったと思われる女性研究者の手になるものでしたが、彼女はふと江戸期になぜ性犯罪が極めて少なかったのかという疑問を抱いたようです。そして、この発想の前提には、どうやら江戸期に生きた大衆が男女をとわず銭湯(公衆浴場)の世話になっていた史実が大きく関わったようです。すなわち、江戸期にあっては自分の家に風呂(内風呂)があるのは、ごく限られた階層に属した人だけでした。ところが、いまも昔も、日本は夏は蒸し暑く、冬は寒い所が多いですね。そのため、どうしても一日の終わりには一風呂浴びたくなります。そこで銭湯に行くことになるのですが、これは男女で入り口が分かれてはいるものの、湯船はひとつなので当然中では混浴ということになります。・・・彼女が最終的に出した結論が当時の人々と我々とではものを見る視点が異なったためではないかというものでした。つまり現代人は一点をじっと凝視するルック・アット(look at)なのに対し、江戸期の男性はたとえ女性の裸が目に飛び込んできても見て見ぬふりをするシー(see)の視点で暮らしていたことが大きく関係したのではというのが、彼女の下した結論でした。シー(see)という英単語は、漠然と眺めるという曖昧な視点を指すようです。とにもかくにも、若き日の僕は、彼女が下したこの推論が正しいかどうかはともかく、いかにも女性研究者らしい目の付け所だなと思って印象に残りました」。

第3は、幕末の薩摩人・長州人も徳川家康を尊敬していたという指摘です。

「その最たる理由は、やはりなんといっても、家康が世界史上でも極めて珍しい、長期間におよぶ平和な体制(近年『パクス・トクガワナ(徳川の平和)』と呼ばれます)を構築した当事者だったことによります。このような観点に立てば、当然のことながら、平和な時代が続けば続くほど、家康の評価がより高くなり、彼に対する尊崇の念も強まることになります。したがって、江戸時代の最終段階である幕末期になると、それがピークに達することになりました。例えば、薩摩藩の名君と称された有名な島津斉彬なども、家康を理想的な政治家として称賛したひとりでした。・・・同様に、幕末期に登場し、幕府に対してもっとも反抗的な態度を示した長州藩の奇兵隊士あたりでも、家康の評価にはすこぶる高いものがありました」。

巻末で、著者は、若い人たちに対し読書を強く進めています。

「大事なことは、本を読むことで、知識の量を増やし、考え方が深められるだけでなく、時に人生を歩むうえでの重要なヒントを得られることです」。

一般とは異なる視点に立つことの重要性について、いろいろと考えさせられる一冊です。