理論物理学者・大栗博司の読書体験と研究過程が融合した興味深い自叙伝・・・【山椒読書論(540)】
『探究する精神――職業としての基礎科学』(大栗博司著、幻冬舎新書)は、敬愛する理論物理学者・大栗博司の、子供時代からの読書体験を縦軸に、専門分野の研究過程を横軸に紡ぎ上げた、基礎科学愛溢れる自叙伝である。
ワクワクしながら読み始めたが、期待を裏切らないエピソードの連続で、一気に読み終えてしまった。
とりわけ興味深いのは、小学生時代の「自由書房」に放牧された体験である。「本を斜め読みすることを英語では『ブラウズ』と言います。もともと放牧された牛や馬が野原の草を食べる様子を表す言葉だったのが、本の斜め読みにも使われるようになりました。ページをぱらぱらとめぐるのはブラウズですが、書店で本を見て回ることもブラウズと言います。小学生の頃の私は自由書房(という書店)で放牧されていたのです。書店に行く楽しみのひとつは思いがけない本に出合うことです。目当ての本の近くにあった本をふと手に取ることで新しい世界が開けたことが何度もありました。アマゾンなどのインターネット書店は、たしかに便利です。しかし、ブラウズする時には紙の本が置いてある書店に行く方が楽しいです」。私も同意見だ。
リベラルアーツから導かれた大学での勉強の目標は、科学者らしく具体的である。「自分の頭で合理的に考え、それを説得力のある言葉で語ることができることが自由人の必要条件だったのです。これを参考に、大学までの勉強には次の3つの目標があると私は考えています。①自分の頭で考える力を伸ばす、②必要な知識や技術を身につける、③言葉で伝える力を伸ばす」。
アンリ・ポアンカレから、研究の価値は何で決まるのかを学んだと語っている。「ポアンカレは普遍的な法則を見つけることに科学の価値を見出しているのです。普遍性のある発見は、幅広い分野に影響を与え、それらの発展を促し、科学全体に大きな貢献ができるからです。・・・このポアンカレの考え方は今でも常に頭の片隅にあります。新しい研究テーマに取り組む時には、『このプロジェクトには普遍的な価値があるか。より広い分野にインパクトを与えることができるか』と自分に問いかける。科学者として大きなリターンを生む研究をするには、そういう姿勢が求められることを私はポアンカレから学びました」。
物理学の本質が明かされている。「自然科学の中には生物学、化学、天文学など様々な分野があります。物理学をそれらと区別するのは『基本原理に立ち返って考える』という研究の方法です。・・・生物学が生命現象を、化学が物質の構造や反応を、天文学が天体を研究対象とする『対象の学問』なのに対し、物理学は研究の方法に特徴がある『方法の学問』なのです」。この説明は説得力がある。
著者は、エルビン・シュレディンガーからも大きな影響を受けている。「物理学は『方法の学問』なので、その方法は物体の運動だけでなく、すべての自然現象の理解に使うことができます。・・・シュレディンガーは、『生命とは何か』というような生物学の本丸の問題に物理学のアプローチで真正面から取り組み、新しい理論を打ち立てようとしていました。『物理学はどんな問題に使ってもいいのだ』と新しい窓が開かれた気がしました。また、シュレディンガーはこの本の中で、物理学が進歩していく上では、『概念の創造』が重要であることを強調しています。私はそれにも強い印象を受けました」。
大学院は次の3つの力をつける場所であると、著者は考えている。①問題を見つける力、②問題を解く力、③粘り強く考える力。
意外なことに、そもそも科学は天文学から始まったというのだ。「なぜ科学は天文学から始まったのでしょうか。それは、私たち人間が、ただ生きるだけではなく、生きることにどのような意味があるのか、私たちの存在はこの世界の中でどのような位置を占めているのかを理解したいからだと思います。このような問いを発する生物は、私たちの知る限りでは、人間しかいません。そのため古代から様々な文明が、『宇宙はどのようにして始まったのか』、『宇宙はどのようにできているのか』、『その仕組みはどうなっているのか』という根源的な疑問に答えようとしました。そこから創世神話や宗教が生まれてきました。・・・王権により長期にわたって支援された『代数タイプ』のバビロニアの天文学と、自由な市民の探究心により『幾何タイプ』の世界像を築いたギリシアの天文学が融合することで、宇宙についてのより深い理解、より予言能力の高い理論が生まれたのです」。この解説には、目から鱗が落ちた。