榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

戦国大名の魁・北条早雲の生涯と、そのユニークな領国経営術・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1436)】

【amazon 『大いなる謎 北条早雲への旅』 カスタマーレビュー 2019年3月26日】 情熱的読書人間のないしょ話(1436)

春の野生植物を観察しました。ノジスミレ、ヒメオドリコソウ、カラスノエンドウの花、カワヤナギの雄花、アマナ、タブノキの蕾をカメラに収めました。群生するホトケノザの花で一面が赤紫色に染まっています。植物に造詣の深い柳沢朝江さんによると、近年、ニセカントウタンポポが増えてきているそうです。ニセカントウタンポポは、在来種のカントウタンポポ同様、総苞片は反り返らないが、外来種のセイヨウタンポポ同様、総苞片が開花初期には黒ずみ、舌状花の数が多いという特徴があります。

閑話休題、『大いなる謎 北条早雲への旅――人生の真実とゆかりの地をたずねて』(泉秀樹著、天夢人)は、3つの魅力を備えています。

魅力の第1は、北条早雲の生涯が、簡にして要を得た筆致で描かれていること。

「『北条早雲』という名前は、江戸時代の軍記物に使われていた俗称で、実名は『伊勢新九郎盛時』といった。『新九郎長氏』とも称した彼は、次に『伊勢宗瑞』と称し、出家して『早雲庵宗瑞』という号を使った。が、本書では日本人に最もなじみ深い『北条早雲』で話を進める」。早雲は、素性の知れぬ一介の浪人が、うまくきっかけを掴んで戦国大名にまでのし上がった、下剋上の時代の魁(さきがけ)というイメージを持たれがちだが、浪人とはほど遠い名門の出であったことが示されています。

「興国寺城主となった早雲は、領民のための国づくりを進めていった。領民の要求を聞き入れながら、できるかぎりの恩恵を与えて安心させる。『威服』でなく『悦服』による領国経営である」。

「孫子は「道」を重視している。為政者は民とともに心をひとつにして戦うものであると説く。さらには、戦に勝つためには敵に心理的な衝撃をあたえる。欺く、集中する、奇襲することなどをあげている。早雲の戦法は、すべて『孫子』の理に適った作戦である。初戦である駿府の今川館を攻めたときも、同様の戦法であったと考えられる」。

「理想の政治とは、権力の行使ではなく、民意の先取りから生まれる。早雲はそれを知っていた。・・・早雲は非道な搾取はしない、あたたかい税政策、やさしい民政によって、伊豆領民の支持を得ていったということである。人々はたしかに新しいタイプの支配者があらわれたと感じ、早雲を支持する気持ちになったことだろう。・・・韮山の地を本拠地とした早雲はたくわえてきた金銀や穀物、銭などをほどこし、民百姓を可愛がり育て、兵たちにも優しく接したから、東国はいうにおよばず、あちこちの浪人達が『韮山殿』(早雲)を慕って訪ねてきた」。

「(伊豆平定の過程では)甘い顔ばかり見せられない。それまで民百姓に見せていた菩薩の顔が、刃向かう敵に対してはにわかに恐ろしい邪悪な悪鬼に変わった。優しい早雲は、実は恐ろしい男でもあることを知らしめるためであったろう。その落差に、誰もが戦慄したと想像できる。早雲は『生べき者をば生かし、殺すべき者をば殺すをもって、仁政の道とせり』という考え方であった」。

「小田原城と大森藤頼が支配していた相模西部を奪取した早雲は、領民に好意的に迎えられたことだろう。興国寺城領、伊豆領の税は四公六民、年三分の金穀貸し付けなどの善政に関する情報がすでに行きわたっていたと考えられる。早雲は理想の楽園を現出させようとしていた」。

「伊豆一国を平定し、相模の西部一帯を支配下においても、早雲はあくまでも『今川家』の重臣としての立場を堅持していたことになる。ここにも、急いで群雄として割拠しようと目論まない、気長で静かな、したたかで慎重な性格があらわれている。そしてじっくりと時をかけた上で、早雲は、再び相模に目を向ける。いよいよ本格的な相模侵攻である」。

「戦国大名は、将軍とか幕府権力とは手を切ったところで、地域権力であることを標榜して誕生した。戦国家法とか分国法の名でよばれる、戦国大名が独自に法を制定しているのはその最もはっきりした形である。戦国家法、すなわち分国法(=『伊勢宗瑞十七箇条』)の制定は、戦国大名としての独立宣言だったといってよい。また、家中の規範・家訓として『早雲寺殿廿一箇条』も定めた。永正3(1506)年の検地は、早雲が、室町幕府と今川家の桎梏から完全に脱して戦国大名としての地位を獲得した独立宣言であった」。

魅力の第2は、巻末に、早雲が定めた家訓「早雲寺殿廿一箇条」の全文と現代語訳が付されていること。

魅力の第3は、早雲に縁(ゆかり)の地を巡るための参考資料が充実していること。