榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

戦国武将たちの興味深いエピソード・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2752)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年10月29日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2752)

カルガモ、マガモ、ヒドリガモの群れの中に、オシドリの雄(写真1~5)が2羽混じっています。1時間以上粘った甲斐があり、昨日より鮮明な写真が撮れました。マガモの雄(写真6)、雄のエクリプス(写真7、8)、クロコノマチョウ(写真9、10)をカメラに収めました。ホトトギス(写真11)が咲いています。ハスの果床(写真12)を手芸の材料にするという女性二人連れに会いました。広大な林のど真ん中に住むKさん(写真13)が羨ましい! 因みに、本日の歩数は11,235でした。

閑話休題、『覚えておきたい新・戦国武将112』(本間康司絵・文、清水書院)で、とりわけ興味深いのは武将たちのエピソードです。史実ではないにしても、ある意味、その人物の本質を伝えている可能性があるからです。

●毛利元就――中国地方を制した武将
「酒――祖父、父、兄と、皆早死になのは酒の飲みすぎが原因であると考えた元就は、息子の隆元に『酒はわきまえて飲め』と手紙を送っている。孫の輝元が酒を覚えたと知ると、『わしが長生きなのは酒を飲めなかったからだ』と戒めた」。

●北条早雲(伊勢宗瑞)――戦国大名の先駆け的存在
「長寿の秘訣――戦国時代の平均寿命は30~50歳といわれたなか、早雲は88歳まで生きたといわれる。長生きの秘訣は、夜は8時より前に寝て、朝は4時に起き、行水をした後、午前6時より前に出勤という早寝早起きの規則正しい生活ぶりだったこと、干し栗や梅干しを好んで食べ、質素な食生活を続けていたことといわれる」。

●前田利家――信長に仕えた「槍の又左」の異名を持つ猛将
「信長との関係――利家は美少年だったといわれ、信長に夜のお相手もさせられたといわれる。晩年、信長は利家との同性愛の関係をみんなの前で暴露したという。利家はそれが自慢であったといい、まわりにうらやましがられたといわれている」。

●伊達政宗――独眼竜の異名で知られる戦国大名
「肖像画の不思議――『独眼竜』政宗の肖像画には、両目がきちんと描かれているものが多い。これは、政宗本人が晩年、『親から授かった大切なものが欠けたのは、不敬だった。自分の姿を肖像画などに残す場合は、必ず両目のそろったものにせよ』と言ったと伝えられている」。

●島津義弘――「鬼島津」の異名で知られた武将
「気配り――義弘は、とても気配りのできる人物だったという。初出仕する家臣とのお目見えの儀式の際、父親に手柄のあった者には『お前は父に似ているので、父に劣らぬ働きをするだろう』と言ったり、親にとくに手柄がない者には『お前は父に勝るようなので、優秀な働きをするだろう』など、激励の言葉を掛けていた」。

●黒田官兵衛(黒田孝高)――最後まで天下を狙った名軍師
「晩年――晩年の官兵衛は、歌を詠んだり、城下の子供たちと遊んだりして過ごしていたという。友人に『本当は天下を狙っているのでは』と尋ねられても、『天下を取ろうと思えばたやすいが、もう年老いた』と答えたという」。

●太田道灌――江戸城を築いたことで知られる武将
「当方滅亡――上杉氏内部の対立抗争に巻き込まれて、暗殺されてしまう。風呂に入っていた道灌を、(主君の上杉定正が)家臣に槍で突いて殺させたといわれている。襲われた瞬間、道灌は『当方滅亡!』と叫んだという」。

●村上義清――武田信玄に二度勝利した武将
「信玄に二度勝利――義清は、武田信玄との戦いにおいて、二度の勝利をおさめている。信玄にとっては生涯で数少ない二度の敗北を経験した」。

●斎藤義龍――長良川の戦いで、父・道三を討ち取る
「大男――当時の平均身長が157cmほどといわれた時代に、義龍は身長が六尺五寸(約197cm)あり、六尺五寸殿と呼ばれていた」。

●小松姫――本多忠勝の娘。真田信之の正室
「真田昌幸・幸村を救った――関ヶ原の戦いで、西軍が敗北。昌幸と幸村は、徳川家康から切腹を言い渡されるが、信之が必死になり止めた。その裏で小松姫が、父の本多忠勝を通して、命だけは助けてもらうように働きかけたという。切腹の代わりに、二人は紀伊の九度山で謹慎処分を受けた」。