アガサ・クリスティーの14歳年下の考古学者の夫との発掘旅行記・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1519)】
野鳥観察会に参加しました。オオタカ(紺野竹夫さん、K.T.さん撮影)、サシバの雌、ダイサギあるいはチュウダイサギ(足が見えないので同定不能)、ヨシゴイ(K.T.さん撮影)、カワウ、餌をねだるムクドリの幼鳥、若鳥、オオヨシキリ、アオダイショウの幼体、クサガメの幼体、トウキョウダルマガエル、カエルの幼生(オタマジャクシ)、カダヤシ、アメリカザリガニ、ツマグロヒョウモンの雄、ベニシジミを観察することができました。因みに、本日の歩数は15,683でした。
閑話休題、『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』(アガサ・クリスティー著、深町眞理子訳、ハヤカワ文庫)は、ミステリではなく、シリアでの発掘旅行記です。
推理作家・クリスティーには、再婚した14歳年下の考古学者、マックス・マローワンの妻という側面があり、彼女は結婚直後から夫の発掘旅行に同行し、それが丸30年間も続きます。
二人が仲のよい夫婦で、実り多い結婚生活を送ったこと、他人を評価することにおいて、夫の人物鑑識眼に敬意を表していること、行く先々の土地の人々や環境を的確に観察していること――が、本書から伝わってきます。
シリアでの発掘旅行に向かうための荷造りの場面。「マックスの部屋をのぞくと、さながらその立方体のスペース全体が、書物で埋まっているような印象を受ける。その本の山のわずかな隙間から、マックスの苦悩に満ちた顔がちらりと見てとれる。『きみ、どう思う? これだけのものをぜんぶ持っていくスペースがあるかな?』。彼はたずねる。・・・彼は2巻の大部の書物を、わたしのシャンタンのスーツの上に力まかせに押しこむ。わざわざスーツケースのいちばん上になるように気を配って、ふんわり置いてあったのに。わたしは悲鳴をあげ、抗議するが、もはや手遅れだ。・・・『なんだい、これは?』。見てのとおり、ドレスだとわたしは答える。『これはおもしろい。胸から裾にかけて、ずっと豊饒のモティーフがついてる』と、マックス。考古学者と結婚していて当惑させられることのひとつは、ごくありふれた、なんでもないパターンの起源とか由来について、彼らが多彩な専門的知識を有していることだ!」。
「マックスのほうは、『現在』においてお茶を飲んでいるが、心はざっと紀元前4000年あたりをさまよっている」。
「いまや生活は一定の習慣どおりの日課に落ち着く。毎朝、マックスは未明に起きだし、墳丘へと出かけてゆく。たいがいわたしも同行するが、ちょくちょく家に残って、ほかの仕事をすることもある。たとえば、土器その他の発掘品の修復、ラベル貼り、ときにはタイプライターでわたし本来の職業にいそしむこともある」。
「完全に疲労困憊して、痛みに悩まされつつ眠るというのも、あながち悪いことばかりではない。なによりうれしいのは、翌朝、心も晴ればれと、元気いっぱいにめざめたときの驚きと、そのすばらしさだ。わたしは体じゅうに精気が横溢しているのを感じ、猛烈な空腹感を覚える。『ねぇアガサ』。マックスが言う。『ゆうべはきみ、熱があったんじゃないのかな。うわごとを言ってたもの。しきりにマダム・ジャコーのことを言ってた』。わたしは彼にさげすみをこめたまなざしを投げ、口がきけるようになるのを待つ。なにしろ口のなかは、こちこちに焼いた目玉焼きでいっぱいなのだ。それから、やっと言う。『ばかばかしい! あなたがちゃんと耳を傾ける気になりさえすれば、わたしの言う意味ははっきりわかったはずなのに。たぶん頭のなかは、バリーフ河ぞいの墳丘群のことだけでいっぱいだったんでしょうよ――』。『しかし、きっとおもしろいはずなんだ』。たちまちマックスは膝をのりだす。『あれらのテルからいくつかを選んで、何カ所か試し掘りをしてみたら・・・』」。
「わが調査隊の新しい建築技師、マック。彼のことは、わたしもまだほとんど知らない。数日ちゅうに、このマックを加えたわたしたち3人は、発掘に適した有望な遺跡を探して、3カ月にわたる調査旅行に出発することになっている。・・・昼食がすむと、マックスがわたしに、マックをどう思うかとたずねる。わたしは用心ぶかく、ずいぶん口数のすくないひとみたいね、と答える。そうなんだ、だからいいのさ、そうマックスは言う。きみにはとてもわかるまいが、砂漠のまんなかで、ぜったい口をつぐもうとしない相手とつきあうはめになったら、その悲惨さたるや目もあてられない! 『マックを選んだのは、どうやら寡黙なタイプらしいと見てとったからだよ』」。
「夜になってふたりだけのテントで寝袋にもぐり、昼間の出来事を縷々マックルに話して聞かせる段になると、わたしは強力に自説を主張する。つまり、あのマックは、どう考えても人間じゃない、そう言いたいのだ! マックが珍しく自分からなにか言いだすことがあれば、それはたいがい、その場の気分に水をさすたぐいのものと決まっている。どうやら彼にとっては、なににつけてもことごとに異を立てるというのが、一定の陰気な満足を与えてくれるらしいのだ」。
「後刻、わたしとふたりで寝袋にはいってから、マックスは言う。『言っただろう、マックは掘り出し物だって。なんてったって、第一級の胃袋の持ち主だからね! なにがあろうとへっちゃら。ぎとぎとの脂だろうが、黒泥だろうが、なんでもこい、いくらでも詰めこめる。しかも、ぜったいと言っていいほど、口をきかないときている』。わたしは言う。『あなたにとっては、それは結構なことでしょうよ。あなたもハムーディも、しょっちゅうげらげら笑って、しゃべりまくってるんだから。でも、このわたしはどうなるのよ!』。『なんできみがあいつともっとうまくやれないのか、さっぱりわからないよ。努力はしてるのかい?』。『いつだってしてるわよ、努力なら。でもあのひとは鼻であしらうだけ』。マックスはこれを愉快な返事だと受け取りでもしたらしく、ひとしきりくすくす笑う」。
やがて、クリスティーもマックを見直す時がやってきます。「マックがスケッチをしている。墳丘のスケッチだ。かなり形式化された風景だが、それでもわたしはすっかり気に入ってしまう。画面には人影はまったく見あたらない。ただ曲線とパターンのみ。わたしははじめてこのマックが、たんに建築技師であるだけでなく、芸術家でもあることをさとる。そして彼に、わたしの新しい本のカバーをデザインしてくれるように頼む」。
「クルドの女たちは、陽気で、きりっとした目鼻だち、好んで明るい色を身につける。頭には鮮やかなオレンジ色のターバン、服は緑や紫や黄色など。つねに背筋をしゃんとのばし、頭を高くもたげて、後ろに反りかえるような姿勢を保っているので、いつ見ても誇り高く見える、肌はブロンズ色、目鼻だちはととのい、頬は赤く、たいがい目は青い。いっぽう、クルドの男たちはみんな、むかし幼いころにわが家の子供部屋にかかっていた、キッチナー将軍の色刷り写真に驚くほど酷似している。赤銅色の顔、大きな褐色の八字ひげ、まっさおな目。猛々しく、武人らしい容貌だ。この地方には、クルドの村とアラブの村とがほぼ同数存在する。どちらも似たような暮らしをし、おなじ宗教に属しているが、それでいて、クルドの女とアラブの女とを見まちがえることはけっしてない。アラブの女は、例外なく控えめで、内気であり、話しかけると、目をそらす。こちらを見るとしても、遠くからだけだし、ほほえむとしても、はにかみがちで、顔も半分がたそらしたままだ。たいがいは黒か、黒っぽい服装をし、ぜったいに女性のほうから男性に近づいて、話しかけることはない。それにひきかえ、クルドの女たちは、男性と対等が、対等以上であることを疑っていない。どんどん家から出てきて、どんな男にも冗談を言い、愛嬌たっぷりに世間話をする。平気で夫をとっちめたりもする」。
「(イェジッド族の)聖地であるシーク・ハディは、モースル近くの、クルド人の多く住む丘陵地帯にあり、その付近を発掘したとき、わたしたち夫婦はそこを訪れてみた。世界広しといえども、おそらくここほど美しい、ここほど平和な里はないだろう。・・・空気はさわやかで、新鮮かつ清澄である。・・・このあたりの人心はまことに純粋なので、クリスチャンの女性も、裸で清流にはいって水浴びができると言われている。やがて、唐突に、山道の向こうに白い聖堂の尖塔があらわれる。・・・堂内から出たわたしたちは、中庭にすわって、そこのひんやりした静けさと安らかさとにひたる。ふたりとも、この山中の聖域を離れて、現世の混迷のなかへともどってゆくのが心残りでならない・・・。シーク・ハディこそは、わたしの生涯忘れられない場所だ。また、そのときわたしの魂をとらえた完全な安らぎと満たされた思い、それらも忘れることはないだろう」。