榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

逃亡奴隷支援活動の闘士、ハリエット・タブマンの勇気と知略に満ちた生涯・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1524)】

【amazon 『自由への道』 カスタマーレビュー 2019年6月21日】 情熱的読書人間のないしょ話(1524)

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閑話休題、『自由への道――逃亡奴隷ハリエット・タブマンの生涯』(キャサリン・クリントン著、廣瀬典生訳、晃洋書房)は、アメリカの逃亡奴隷支援活動の闘士として大活躍した逃亡奴隷、ハリエット・タブマンの伝記の部分と、58ページに亘る訳者解説の部分とで構成されています。

「1849年、若い女奴隷として、自由を求める第一歩を踏み出した後、タブマンは何度も南方の生まれ故郷メリーランド州に戻り、『地下鉄道』の支援を得て多くの奴隷の逃亡に関わった。南北戦争が勃発した時には。奴隷解放の戦いは『公然たるもの』となり、タブマンは(南部諸州の)『アメリカ連合国』を倒すために戦闘に加わり、勇猛果敢に戦った。しかし(南北戦争で)反乱軍が敗北しても戦いは終わっていないことはわかっていた。彼女は国に多大の貢献をした。しかし、真の自由を伴う権利が黒人に与えられるまで戦いは続くと覚悟を決めていた」。

「ハリエット・タブマンは黒人解放者、奴隷(制)権力に立ち向かった女性、言葉よりも行動で示した戦士だった。奴隷として生まれたおおかたの女性とは違って、『地下鉄道』と関わった10年間、自分のためだけでなく、家族や黒人同胞のために自由への道を切り開いた。何よりも彼女のこの勇気が当時の恐ろしい評判を生むことになる。奴隷所有者の重要指名手配犯リストに載って、彼女の首に法外な賞金がかけられた。彼女が呼ばれていた名前――『モーセ』――を使ったポスターが、南北戦争が勃発するまで、『高南部』の至るところに目につくように貼られていた」。

「(南北戦争の)戦時中は、傷病兵の看護や南部沿岸地域の奴隷難民の支援に加えて、自ら軍事任務を引き受け、偵察部隊や諜報部隊を組織した。占拠されたサウスカロライナ州の奥深くまで踏み入って奴隷を救出する作戦でも先導的役割を果たした」。

「(南北戦争終結後、第二の故郷、ニューヨーク州オーバーンで)人種平等を求める活動を進めていきたかったことから、彼女の支援者で合衆国国務長官も務めたウィリアム・スワードから購入した家を、非公式な避難所として維持していくことにした。時の経過とともに展望が広がり、新たにもう一つ福祉施設をつくりたいという願望から、さらに広い土地を購入した。そして彼女が所属する教会の支援を得て、この夢はついに実現した――1908年に『ハリエット・タブマン・ホーム』が開設されたのだ。それから5年後、タブマンはこの世を去ることになる」。

非常に充実している訳者解説によって、当時の時代背景と奴隷解放運動の全体像を俯瞰することができます。

黒人奴隷の逃亡を支援する秘密組織「地下鉄道」には、『ウォールデン――森の生活』のヘンリー・デイヴィッド・ソローや、『若草物語』のルイザ・メイ・オルコットも深く関わっていました。

「ハリエット・ビーチャー・ストウを『アンクル・トムの小屋』執筆へと駆り立てたのは、(1850年に制定された)『逃亡奴隷法』に対する反発であった。「『地下鉄道』によって自由州に逃れることができたとしても、(逃亡奴隷法によって)もはや(自由州と)奴隷州との境界線はなくなり、逃亡奴隷を所有者に戻すことが連邦政府の責任となった。別名『ブラッドハウンド法』は、嗅覚の優れた狩猟犬である『ブラッドハウンド犬』のように、逃亡した自分の奴隷を求めて州境を越えてどこまでも追跡、捕獲、奪還しようとする南部の奴隷所有者の執拗さを表すものであった。・・・すなわち黒人であるならば、逃亡奴隷・自由黒人の区別など何の意味もなく、すべての黒人が恐怖に晒されることになった」。

読み応えのある一冊です。