榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

原節子の真実の恋、小津安二郎との微妙な関係、そして、突然の映画界引退・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1557)】

【amazon 『原節子の真実』 カスタマーレビュー 2019年7月23日】 情熱的読書人間のないしょ話(1557)

千葉・流山の「梅の花・おおたかの森店」で、女房の誕生日祝いをしました。庭、生け花、料理、接遇、サーヴィス――落ち着ける食事処です。

閑話休題、評伝『原節子の真実』(石井妙子著、新潮文庫)では、驚くべき3つの事実が明かされています。

第1は、原節子が一生に一度の恋をしていたこと。

「愛する人をいつ奪われるかしれない(日中戦争の)戦時下、確かに彼女は恋をしていた。・・・それは淡い恋などではなかった。彼女にとっては一生に一度の熱烈な恋だったと映画関係者の間で、秘かに語り継がれてきたものである。昭和15、6年ごろのこと、節子は20歳前後。彼女には結婚を強く望んだ男性がいた。相手は東宝の同僚で、脚本を書きながら助監督をしていた青年だった。名は清島長利。戦後は椎名利夫のペンネームも用いて著名な脚本家となるが、当時はまったく無名で、地位もなく目立たぬ存在であった。映画界にはめずらしく東大で美学を学んだという経歴の持ち主であり、地味で誠実な人柄に節子が惹かれ、やがて相思相愛になったといわれる」。

「当時、スター然としたところのない節子に憧れる青年は、撮影所内に多かったという。けれど、相手はなんといってもスター中のスターであり、会社にとっては大事な商品でもある。社内の名もない青年がうかつに近づくことなど決して許されなかった。・・・会社としても、節子に恋愛などさせるわけにはいかなかったことだろう。それでもふたりは恋仲となり、姉夫婦と暮らす清島の下宿先で、ひと目をしのび逢瀬を重ねた。清島の姉はふたりが真剣に思い合っていることを知り、密かに応援していた。ところが、やはり噂は広まり、会社や(節子の義兄の)熊谷の知るところとなった。熊谷は『助監督風情が』と激怒し、節子には諄々と「女優としてこれからではないか」と説いて聞かせたといわれる。熊谷は、節子に近づこうとする若い男たちを徹底して排除していた。そうしたなかで発覚した恋愛事件。そして、それは若い節子が想像もしなかった結末を迎えることになる。清島が東宝から追放されてしまったのである。身のほどをわきまえずにスターと付き合ったことに対する懲罰だった。単に仲を引き裂かれただけではない。自分が恋をしたばかりに愛する人の将来を奪ってしまったことを節子はどう受け止めたのであろうか。撮影所を揺るがしたこの一件は、清島が節子の立場を慮って戦後も長く、『どうして、私と原節子さんの間にそんな噂が立つのかわからない』と言い張ったこともあり、これまで公に語られることはあまりなかった」。

「清島との別離を節子は深く嘆き、『こんなに苦しいのなら、もう二度と恋はしない』と周囲に語ったといわれる。自分が愛したばかりに、男は会社を追われることになった。その責任を重く受け止めてもいたのだろう」。これ以降、節子は死ぬまで独身を貫いたのです。

第2は、節子自身は、彼女の代表作とされる小津安二郎監督の三部作――『晩春』、『麥秋』、『東京物語』を高く評価することなく、自分の代表作とは見做していなかったこと。

「(好きな作品を聞かれると)彼女(節子)はなぜか小津作品だけは、かたくなに挙げなかった。『晩春』と同様に評価された『麥秋』に対しても、節子は肯定的ではない。小津作品で与えられた紀子のような役は、もうやりたくないといった発言さえしている。<婚期に遅れたオールドミスをやるのも、余り好きではないわ>」。

「とりわけ節子を夢中にさせたのが、イングリッド・バーグマンの存在だった。節子はバーグマンに憧れ、バーグマンのような演技者になり、バーグマンのような役どころを演じたいと切望するようになった。・・・32歳の節子は、自分が納得する役を演じて代表作にしたいという気持ちに駆られていたのだろう。バーグマンの映画でも『カサブランカ』が好きだったという。美しいだけでなく、自我があり、自分で人生を切り拓いていくヒロインを演じたいという節子の志向」は、細川ガラシャに行き着きます。「彼女(節子)は引退の間際まで、『明智光秀の娘で、気性の強い勝ち気な夫人、細川ガラシャを演じたい』と言い続けることになる」。しかし、この願いは、叶えられることがありませんでした。

「(『東京物語』の撮影)現場でのふたり(小津と節子)は一歩も引かずプライドをかけて向き合っていた。・・・小津と節子の間にあったのは、甘いロマンスなどではなく表現者同士の対峙から来る緊迫感であった」。

第3は、節子が43歳で突然、映画界を去ったのはなぜか、そして、95歳で死去するまで鎌倉で隠棲したのはなぜか――彼女には、十分な理由があったこと。

「これだけ長い間、映画界に身を投じ犠牲を払いながらも、自分にはまだ納得できる代表作がないのだ。せめて、自分の演じたい役を思い切り演じ、これが自分だというものを残して去りたい。自分の好みを分かってくれる、力量のある監督の手で。節子にとってそれは、(尊敬する)熊谷だったのだろう」。

「美貌を謳われた女優ほど、手ひどいしっぺ返しを食う。誇り高い節子は幼い日に憧れた先輩女優のそんな姿(=美人女優として鳴らした入江たか子が、中年になり、低俗な『化け猫映画』に化け猫役で出演して、世間から嗤われた事例)を見て、『原節子』にこうした最後を与えるようなことは決してするまいと思ったのではないだろうか。老いて居場所を失う前に去りたい、老いを嘲笑される前に消えたい、虚栄心から贅沢をして経済的に行き詰まり老いてから足元を見られたくない、と」。

「細川ガラシャを演じる希望はいつまでも叶えられず、イングリッド・バーグマンのような役どころも与えられず、家庭劇の中で男性に期待された理想像を演じ続け、盛りの時を過ぎてしまった。その上、義兄も監督として十分な再起は果たせず、東宝のなかに居場所は得られなかった。納得できる代表作を残して映画界を去るという理想は、もはや叶えられない。節子は人知れず引退に向けた準備を進めていった。白内障をわずらった頃から節子は蓄えができると、土地や株を購入していた。・・・もともと節子は質素な暮らしを好んで送ってきた。・・・(付き人を置かず)たまに実姉に付き添ってもらうことがあったが、大抵はひとりで身の回りのことをこなした。眼を悪くするまでは他の女優のように運転手付の自動車で乗りつけるようなことはせず、電車に乗り続けた。ぜいたくな着物や宝石類にはまったく興味がなく、高価な調度品も嫌った。外食はほとんどせず、食べ物に凝ることもなかった」。

「前々から親しかった人には、『40歳で引退したい』『引退する時は誰にも気づかれぬように消えていきたい』と話していたという。その言葉通り、彼女は何も語らず、何も発表せず、映画界を去ろうとしていた。静かに、そして、誰にも気づかれぬように」。

本書を読み終わって、これまで抱いてきたイメージとは大きく異なる原節子に、親しみと敬愛の念が湧き上がってきました。と同時に、美貌を謳われた女優に老いが忍び寄る件(くだり)は、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の最終巻のゲルマント邸の中庭で、主人公が時の流れの冷酷さを思い知らされる場面を想起させました。