ハチャメチャな自由人・友川カズキのエッセイは底抜けに面白い・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1602)】
センニンソウが白い花を、アカツメクサ(ムラサキツメクサ)が薄紫色の花を咲かせています。アオツヅラフジが青い実を付けています。なお、センニンソウとアオツヅラフジは有毒植物です。虫に食われ、穴だらけの葉も頑張っています。このほど下ろしたウォーキング・シューズ「ニューバランス ジャパン MW685」のあまりの軽さにびっくり仰天。超軽量なので、1日10,000歩以上という私の目標は軽く達成できそうです。因みに、本日の歩数は10,991でした。
閑話休題、寡聞にして友川カズキという人物は知らなかったが、『一人盆踊り』(友川カズキ著、ちくま文庫)は底抜けに面白く、思わぬ拾い物をして得したような気分です。
巻末の、長年の呑み仲間の解説によれば、友川は「歌手、画家、詩人、競輪愛好家、俳優、コメンテイターと八面六臂の活動を続ける・・・根っからの自由人」ということだが、本書は新旧のエッセイと詩で構成されています。
とりわけ印象的なのは、「中上健次さんのこと」です。
「『枯木灘』という小説を読んだ時、だった。オレと二ツか三ツしか年の違わない、中上健次という作家に、オレはたちまち唸ってしまった。・・・本当にもう何ひとつ見落とすまいとしているかのようだった。その目は、単にオレとの話がつまらないとか、〆切の原稿が気になっているとかじゃなくて、正直に飢えている目だった。オレは『中上健次の生き方』が少しくも判ったような気がし、その貪欲さ、感覚が痛くてたまらなかった。いつだって食い入るように、そうして人間を見、ものを見、自分を見て来たのだろう」。
「オレは蛇に睨まれた蛙みたいに身動きひとつできなかった。いつものオレならとっくにあとさきも考えず喧嘩になっている場面だが、まるで歯が立たなかった。完敗。その真剣さ、強さ、は本当に迫力があった。オレはただただ、岩のような人間の周りでウロウロ小便垂れる、小僧っこ、のようなものだった。座が張りつめたが、五人の誰からともなく話題がうつり、やがて何ごともなかったかのように和んでいった」。
「(新宿ゴールデン街で)呑めばやはり、歌、である。店にあった演歌集を引っぱり出し、ようしこれを全部歌おう、と次から次と歌い出した。途中から入って来た客も巻き込み、大演歌大会になった。オレはビールの栓抜きをマイク代わりに、中上さんのジャケットをはおり、司会をやり、歌い、もう乱調の極致へと猛進した。中上さんは、さすが昔ジャズ歌手になろうと思っただけのことがあって、渋く、上手だった。・・・そんな遊びの熱気がどんな形で終わったのか、それが何時頃だったのか、例の如く判ろう筈もないのだが。断片的に、――中上さんと二人で『まえだ』を出て、フラメンコギターを演(や)ってる店『ナナ』に行って、山谷初男さんが来てないか訊いたことや、そのあと行きつけの店『どじ』へ行き、歌ってる若い人に文句をつけてこぜりあいをしてしまったことや、それから『どじ』の姉妹店『こどじ』に行き、それから新宿二丁目の『花嵐館』へ行ったこと――それだけがうっすらと、ただ記号のように思い出せるだけだ」。
私とは正反対の生き方をしている人物のエッセイは何とも刺激的で、目を瞠るばかりです。