榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

その絵画に込められた寓意を知った上で鑑賞するという方法もありますよ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2007)】

【amazon 2020年10月12日】 情熱的読書人間のないしょ話(2007)

昨日とは違う場所で、10羽ほどのカケスの群れに出くわしました。2時間以上かかったが、深い藪の中から高木のカケスたちを撮影することができました。ムベが実を付けています。

閑話休題、「読書クラブ 本好きですか?」の読書仲間・矢島直樹氏から薦められた『絵画を読む――イコノロジー入門』(若桑みどり著、NHKブックス)を手にしました。イコノロジー(図像解釈学)の入門書だが、知的好奇心を掻き立てられました。

よく知られている12の絵画が論じられているが、とりわけ印象に残ったのは、「ボッティチェッリ『春』――愛の弁証法」と「バルドゥング・グリーン『女の三世代』――老いについて」です。

「春」――。
「冷たい大地が春の風の息で姿を変え地上一面に春の花を溢れさせた春のありさまを彼(ボッティチェッリ)はみごとに描き出している。しかし、このゼフュロスからクロリスへクロリスからフローラへという変身の神話は、プラトン的な愛の寓意を隠している。官能的なゼフュロスと、これをきらう純潔のクロリスとの対立、つまり愛欲と貞節の合体から、不死のものである春の女神が生じたのである。このような『対立の統一』は人文主義者にとっては主要な命題であった。同じ愛の弁証法が、ヴィーナスの左側の三人の女性によっても表現されている。この三人はヴィーナスの侍女である『三美神』で、学者たちによって、ヴィーナスからもっとも遠いところにいる髪を乱した女性が『愛欲』で、彼女とむかい合っている髪を束ねた真面目な女性が『貞節』、彼女らをなだめて、『貞節』の手を低く、『愛欲』の手を高くもち上げているのが『美』であるとされている。このグループもまた、対立するものの調和という弁証法を暗示しているのである。したがって、この画面の基本的な構成は中央に地上のヴィーナスが下り、その左右には、それぞれ愛欲と貞節と美との対立の統一を表す三人ずつのグループがとりかこんでいることになる。女神の左手、画面むかって右手のグループは対立が激しく、動乱しており、群像の構成は整然としていないが、左のグループでは対立がみごとな統一を得ている」。そういう深い意味が込められていたとは。

「女の三世代」――。
「画面の中心には自分の姿に見とれ、自分の金髪を撫でている女が立っている。まだ骸骨にはなり切っていない腐敗中の死体が背後から砂時計を差し出しているが、やはり、女は自分の肘でその姿をさえぎっているので、鏡のなかに死が映るのを見ることはできないでいる。老婆が若い女の左に立っているが、彼女の髪の毛はもうまばらで白髪がまじり短く切られてその髪のおもかげもない。ただ、この老婆は、『死』の姿に気づき、そのほうを凝視している。その足元には女の赤子がいてまだなにもわからずに遊んでいる。赤子から若者へ、若者から老婆へ、そして最後には死へと人を運ぶのは、砂時計に象徴されている『時間』である。だが、鏡に見とれ、自分の美しさに傲慢になっている若者には、この人生の真実がわからない。この場合、鏡、髪をすく行為、化粧はすべて『虚栄』の寓意となる。・・・グリーンの作品には二つのテーマがある。一つは鏡に見とれる女の虚栄のはかなさであり、一つは時間の経過が否応なく招く死である」。まさに、メメント・モリですね。

何の先入観もなしに絵画を愉しむのもよいが、その絵が描かれた状況・背景や、その絵に込められた寓意を知った上で鑑賞するという方法もあるということを、本書は教えてくれているのです。