「かぐや姫」と呼ばれた、平安名門貴族の姫君の縁談の実情・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1693)】
東京・台東の上野公園の黄葉、紅葉を楽しみました。ユリカモメと、季節外れに咲いているアメリカデイゴ(カイコウズ)もカメラに収めました。因みに、本日の歩数は10,821でした。
閑話休題、『かぐや姫の結婚――日記が語る平安姫君の縁談事情』(繁田信一著、PHP研究所)では、平安時代の名門貴族の姫君の縁談の実情が臨場感豊かに描かれています。その姫君とは、「賢人右府」と呼ばれた藤原実資の末娘・千古(ちふる)で、実資の日記『小右記』に彼女のことが詳しく記されているのです。
千古は、実資が55歳の時の娘で、実資から溺愛されました。その千古は「かぐや姫」と呼ばれていたと、歴史物語『大鏡』に書かれています。
「健やかに育ちつつあった藤原千古は、当時の都において、多くの耳目を集めていたことだろう。特に、名門貴族藤原実資の愛娘である彼女が誰を婿にするかということは、現に「大鏡」の語り手が「いかなる人が御婿となり給はむとすらむ』と洩らしたように、当時、都に暮らす多くの男女にとっての一大関心事の一つだったに違いあるまい」。
最初の藤原道長家の御曹司・源師房との縁談は、破談になってしまいます。「『かぐや姫』とも呼ばれた13歳の姫君が、(『源氏物語』の)朧月夜が光源氏によって犯されたのと同様の過ちを、本当に犯していたのだとすれば、その過ちの相手となったのは、おそらく、藤原経任という人物であったろう」。
次の藤原道長家の御曹司・藤原長家との縁談も実らなかったが、3番目の縁談で遂に、19歳の千古は16歳の藤原兼頼と正式に結婚します。「どうやら、藤原実資家の『かぐや姫』の婿となったのは、ずいぶんと抜け目のない貴公子であったらしい」。
千古は、娘を残して、27歳もしくは28歳という若さで命を落としてしまいます。これに対し、千古の娘は、何と99歳と長生きしました。
本書を読んで、心が痛んだことがあります。それは、当時、名門貴族の姫君として育ちながら零落していった例が多かったという事実です。「世に『かぐや姫』と呼ばれた実資家の姫君もまた、どうかすると、二条殿の御方や帥殿の御方よろしく、他家の姫君に仕える女房(の身分)に身を落としかねない危うい姫君だった」というのです。名門貴族家に生まれながらも、父親や夫を失った途端に姫君としての人生を取り上げられてしまった姫君が数多かったのです。幸いなことに、千古はそういう運命には遭わずにすみましたが。