ローマは不滅の娼婦のような都だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1861)】
女房に、ヒメヒオウギが咲いているわよ、と言われて、漸く気づきました。庭の片隅で、ひっそりと、赤紫色の花を咲かせています。
閑話休題、『イタリアからの手紙』(塩野七生著、新潮文庫)には、ローマ在住の塩野七生だからこそ書ける、イタリアを巡る味わい深いエッセイが目白押しです。
「永遠の都」では、ローマが不滅の娼婦に喩えられています。「私には、ローマが、不滅の娼婦のように思えてならない。自らは、何ひとつ努力して生産するということを知らない。だがそれでいて、金を出し養ってくれる男に不自由しない美しい娼婦。もうだいぶ年増女になっているのだが、未だに、将来を思って貯蓄するとか、生活設計を考えることなどに無縁な女。野たれ死にしたってかまわないと思っている、根っからに楽天的な女。ローマは、そういう自由な女だけが持つ、永遠に男の心をまどわす魅力をたたえている都だ。最初のパトロンは、ローマ帝国だった。・・・つぎのパトロンは、ローマ・カトリック教会である。・・・しかし、ローマは、またも男に不自由しなかった。統一後のイタリアが、首都をローマに決めたからである。・・・それに、しばらくして、観光客という、団体客のパトロンもついた。・・・こんな風にして、ローマは、二千年の間、老残の身を野たれ死にすることなく、生き続けてきたのである」。
「常に男に愛され、ぜいたくの極を味わった女に似て、彼女は、後から来た若い女たち、パリやロンドンという名の女たちがもてはやされても、別に悲しむ様子もない。男の関心をひこうと、文化の中心はこちらと、宣伝にやっきになることもない。だが、そういう魅力にひかれたのか、ゲーテやスタンダールのような、男の中の男といってもよいような男たちが熱心に宣伝してくれたので、団体客獲得には、未だに困らないのである」。
「トリエステ・国境の町」には、私の大好きなジョゼフ・フーシェが登場します。「(冬には)ヴォーラと呼ばれる強風が、ユーゴの山を越えて、トリエステの町をたたきのめすような勢いで襲ってくる。風速はまさに台風並で、風のぶつかる四つ辻などは、太い綱がはりめぐらされ、人々は、それを伝わってでなくては歩けもしない。この町の家という家はみな、二重窓になっているくらいだ」。
「この有名な風については、こんな話がある。フランス大革命時代も、ナポレオン時代も、そしてナポレオンの没落後も生きのび、それが単に生きのびたというだけでなく、政府内の重要地位まで確保しつづけたしたたか者として有名なフーシェは、ここトリエステで死んだのだが、彼の葬式の日は、あいにくと、このすさまじいヴォーラの吹く日だった。遺体を収めた棺を運ぶ黒塗りの馬車が、静々と四つ辻にさしかかった時である。突然、風が正面から馬車を襲い、それに驚いた馬が、けたたましい叫びをあげ、前脚を高々とあげて荒れ狂った。馭者が、あわてて手綱を引きしめたが間に合わなかった。棺は地上に投げ出され、その勢いでふたが開き、死体がころがり出た。生前はフランス政界の大立者だったこの男の、豪勢な服につつまれた青白い死顔は、まだ荒れ狂っている馬のひづめに蹴散らされ、泥の上を転々ところがった。馭者も葬列に従っていた人々も、これにはしばらくの間、手も出せずに傍観するしかなかったという」。
「私は、ツヴァイクの書いたという有名な彼の伝記を読んでいない。だから、ツヴァイクがどんな書き出しをしたのか知らないが、もし私が書くとしたら、この場面から書きはじめるだろう。世わたりの才能だけが優れていた、しかし、その生き方に品格というものを感じさせないフーシェの伝記の書き出しとしては、最もふさわしいではないか」。もし、本当に塩野がツヴァイクの『ジョゼフ・フーシェ――ある政治的人間の肖像』を読んでいないのなら、すぐに読むべきです。ツヴァイクはフーシェを単純な世渡り上手ではなく、高度の政治的人間として描いているからです。
「カプリ島」には、サマセット・モームが塩野のライヴァルとして立ち現れます。「(カプリ島で出会った七十歳の魅力的な老人のことを書いた)エセーが誌上に出て、数日が過ぎた日のことである。私は。その頃、就寝前に寝床の中で、サマセット・モームの短編を、毎晩二編ずつ読む習慣があった。二編読み終ると、ちょうど眠くなるのだった。だがその晩、二編目の『ロータス・イーター』を読みはじめた私は、眠くなるどころではなかった。眼は醒め、頭の中はすっかり冴えかえり、寝床の上に起き上ってしまった。これはまったく同じだ、盗作と思われても仕方がないくらい、まったく同じに出来ている、と。もちろん、登場人物も書き方も違っていた。だが、テーマは、カプリ島を舞台にしていることも、この島の魅力にひかれて祖国を捨てたことも、同じなのである。モームの短編の主人公は、私と同じように偶然にカプリ島を訪れ、そこで、祖国を捨てて住みついている一人のイギリス人を知る。このイギリス男が、決して特別に異常でないとでもいいたいように、モームは、他に、四十年も住みついているドイツ人の話すら、書き加えている。ここまでは、以上のような話の展開で、私のものと良く似ているのだ」。
「しかし、モームの場合、この続きがある。・・・美しい地中海の島カプリで余生を楽しんでいたはずのこの男は、ほとんど行き倒れのようにして、誰にも知らず、哀れに死ぬのである。・・・私の最初に思ったことは、何という差であろうか、ということだった。私は、表しか見ていないのに、彼は、裏まで見抜いているのである。しかし、モームがこの短編を書いたのは六十八歳の時で、私の二倍以上の年齢であったし、私自身、書斎を日本からイタリアへ移しただけだと思っているから、祖国を捨てた男の哀愁も、今の私には無縁である。無縁なことは、書きようもない。それにしても、年齢も国籍も違う者同士が、カプリ島の持つ魅力を描こうとして、いずれも同じようなテーマを選ぶとは、いったいどういうことであろうか。・・・結果はどうであれ、一度カプリを訪れ、以後の人生をそこで終える気になってしまうような魅力、カプリ島の持つ魅力は、そういう性質のものということになる」。塩野が、モームとの大きな差を認めながらも、意気軒昂な顔を覗かせています。