榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

井上ひさしの父と小林多喜二の関係、井上と司馬遼太郎の関係・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1869)】

【amazon 『「井上ひさし」を読む』 カスタマーレビュー 2020年5月26日】 情熱的読書人間のないしょ話(1869)

ヒペリカム・カリキナム(セイヨウキンシバイ)の黄色い花にホソヒラタアブがやって来ました。蕾にはアリが群がっています。ザクロが朱色の花を咲かせています。タイサンボクの蕾が膨らんできました。ニホンカナヘビに出くわしました。新型コロナウイルスの非常事態宣言が解除されたのに、我が家のサツキたちはソーシャル・ディスタンスィングを守っているわよ、と庭師(女房)から報告がありました。因みに、本日の歩数は13,119でした。

閑話休題、『井上ひさし」を読む――人生を肯定するまなざし』(小森陽一・成田龍一編著、集英社新書)は、井上ひさしをよく知る人たちによる5つの座談会で構成されています。

●今村忠純=井上さんが4歳のときに亡くなったお父さんと小林多喜二が同世代だったということです。井上さんにとって小林多喜二の死は、父・井上修吉の死と同列のものとして受け止められていたんですね。井上修吉は農地解放運動にかかわり、前後3回、検挙され、最後は背中を拷問されて脊椎をやられて死んでしまう。小説も書いていて、小松滋のペンネームで投稿した『H丸傳奇」が『サンデー毎日』の第17回大衆文藝賞に入選するのは1935年、作家への道が開かれていた矢先の39年に早逝した。井上さんは、小説で何回も死んだ父親を生き返らせています。・・・井上さんは、ずっと亡き父とともに生きていた。多喜二と井上修吉の関係に戻ると、二人は『戦旗』の読者であるばかりでない。配布もしていた。そしてまた、井上修吉も投稿者であったということを初めて知りました。それまで小林多喜二・井上修吉・井上ひさしという三者のフォーカスがうまく結ばなかったのですが、その話を聞いて、一瞬言葉をなくしました』。

●大江健三郎=この大きな戦争とそれがもたらした国民の大きな悲惨という現実そのものを、井上さんは『夢』と呼んだのではないでしょうか。この大きな戦争は、我々の現代史において、もっとも重みのある現実ですから、それを一つの夢、日本の現代史がスッポリ全体で含まれる夢として提示する。我々日本人の世界に大きい裂け目をつくってみせて、その現実を『夢の裂け目』と呼ぶ。それがもたらした大きい現実の悲惨を、『夢の泪』と呼ぶ。さらには、それがもたらした傷跡を、『夢の痂』と呼んでみる。そうして、歴史的な事実を、つまり歴史として静止しているもの、死んでしまっているものを、改めて生き生きと動き始めさせ、現在を生きている我々観客と通信を交わし始めさせる。その仕組み、仕掛けをもって井上さんは芝居をつくり、しかも究極はそれを喜劇として完成させる。そうした大きい仕組みと大きい備えの世界を、バルザックなら人間喜劇と呼ぶところを、かれはスッキリ『夢』と名づけたのではないでしょうか。●成田龍一=実に刺激的です。ぼくなどには思いもよらなかった解釈ですね。

●小森陽一=今回、辻井さんには、主に70年代を中心にした作品を再読していただいたのですが、あらためて井上さんの仕事の全体を振り返ってみて、どのような感想を持たれたのか。それを最後にお伺いしたいと思います。●辻井喬={しまった}というのが正直な感想です。これまでも、自分の中で井上ひさしという作家は大きな存在でしたが、思っていた以上にはるかに大きなスケールの作家だということに気づかされた。もっと早くに気づいて、井上さんといろいろ話をしたかった、惜しいことをしたと思いました。

●平田オリザ=一番大きかったのは、自分は戦争を経験した最後の世代で、そろそろ戦争について書かないともう間に合わないという焦りがあったんですね。そのことは何度もおっしゃっていました。これはまったくの私的な見解なのですが、私は、井上さんの変化には司馬遼太郎さんが亡くなられたことがすごく影響しているのではないかなと思っています。というのも、本当にたまたまなのですが、司馬さんが亡くなられた翌日に、駒場の中華屋で、井上さんと二人でご飯を食べていたんです。そのときに私が「司馬さん、亡くなられましたね」というと、井上さんは「うーん」と唸っていたのを覚えています。ご承知のように、司馬さんはノモンハン事件のことをものすごく調べていましたが、結局小説にできなかった。司馬さんは現代物をほとんど書かずに、日露戦争までで終わってしまったのですが、井上さんは司馬さんに、その後の戦争についても書いてもらいたかったのだと思います。想像するに、そんな思いもあって、司馬さんが亡くなられたときに、自分が書かないと間に合わないと思われたんじゃないか、と。ただし、おそらく井上さんは司馬さんを尊敬していたのと同時に、ライバル視というか、司馬さんとは違うかたちで歴史を描こうとする気持ちも強くあったように思います。●小森陽一=司馬遼太郎の死を媒介に、井上ひさしは戦争物へ行った、そう判断されたのですね。●成田龍一=とても大事な指摘だと思います。いってみれば、司馬遼太郎は戦中派で、井上ひさしは戦後派ですから、戦争経験といっても互いに温度差がある。その差異を持ちながら、互いに移ろいゆく戦争の意識、戦争経験の衰弱化という事態に向き合っていこうとしていたということでしょう。ご指摘のように、司馬遼太郎さんの場合には、明治維新から日露戦争までを作品化したのに対し、井上さんは、アジア・太平洋戦争から占領期に材をとる作品を多数提供されています。

私の大好きな井上ひさしについて、深い学びが得られた一冊です。