夫の憧れの女神・ベアトリーチェに対する、ダンテの妻の胸の内・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1944)】
ニホンカナヘビ、ハクセキレイをカメラに収めました。ゴーヤーが実を付けています。猛暑の後に、美しい夕焼けが出現しました。
閑話休題、ダンテとベアトリーチェのエピソードに関心のあった私は、イタリア・フィレンツェに出張で1週間ほど滞在した時に、ダンテがベアトリーチェを見初めたというサンタ・トリニタ橋を見に行き、二人の出会いを描いたヘンリー・ホリデイの複製画を購入しました。この絵は、現在も書斎に飾っています。
短篇集『サロメの乳母の話』(塩野七生著、中公文庫)に収められている『ダンテの妻の嘆き』では、ダンテの妻の胸の内が、塩野七生の想像力によって生き生きと描き出されています。
「ダンテと言えばベアトリーチェ、と答えなければなにかトーンが乱れるような感じ。そんな場合の妻の立場というものは、他人から見ると、ひどく奇妙なものに映るのでしょう。・・・『ジェンマ・ドナーティも不幸な女ですよ。あれでは、妻の立場なんてないも同然。よくあれで我慢したものだ。もちろん、彼女の生まれでは、再婚しようにもできるわけがなかったのだけど』とまあ、フィレンツェの都では、こんな陰口ばかりだったようです」。
「もちろん、ビーチェのことば、わたしの耳にも入ってきていました。大金持のフォルコ・ポルティナーリの娘で、わたしたちが結婚する少し前に、これもフィレンツェ有数の財産家のバルディ家の一人、銀行家のシモーネの許に嫁入った人です。誰もが、ビーチェと愛称で呼んでいたけれど、ダンテだけは、ベアトリーチェと、ちゃんとした名前で呼んでいました。・・・わたしも何度か会ったことがあるけれど、評判を裏切らない美しい人でした。でも、若くして死んだのが、後になってみれば少しも不思議でないような、すきとおるような肌にほっそりした身体つきの、影の薄い美人でした。そのビーチェを、うちの人が、盛んに詩で歌っているというのです。わたしにそれを教えてくれたのは、布地を買いに行く、毛織物商人の娘でした。その人は、わたしとちがって、読み書きを勉強したのです。イタリア語で書かれたダンテの詩を、読んだというのです。・・・ある時、ビーチェのことを話題にしたことがあります。そうしたら、ダンテは、こう答えました。『ベアトリーチェの意味を知っているかい。ベアトリーチェとは、彼女に会っただけで、神の祝福に満たされるという意味だ。優美と美徳の化身というわけさ。わたしにとってのベアトリーチェは、あらゆる高貴な行為と、あらゆる芸術的なインスピレーションの、源ということになる』。わたしは、なんのことだかよくわからなかったけど、問い返しもしませんでした。それに、あの人がどんなに惚れこんでも、ポルティナーリ家は、(ダンテの)アリギエリ家とは段ちがいな大金持。・・・とうてい、ダンテがつり合う相手ではありません」。
「おかしな人でした、ダンテという夫は。でも、あまりに世渡りが下手で、下手もこれほど徹底してくると、愛敬さえ感じられるから不思議です。『神曲』の主要人物が、あのビーチェ・ポルティナーリであるのを知っても、怒る気にもなれませんでした」。