森鴎外に隠し妻がいた、開高健・牧羊子夫妻が酷く不仲だったとは・・・ ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2058)】
東京・中央の聖路加国際病院では、活版印刷技術の発明者とされるヨハネス・グーテンベルクの「42行聖書」が展示されています。
閑話休題、『生きる!』(嵐山光三郎著、新講社)は、臍曲がりの老人論あり、回想記あり、文壇の裏話ありの、嵐山光三郎らしさ満載のエッセイ集です。
「オーイ、大村アニキ」は、こう結ばれています。「恩ある人が他界したときは、その人の著書をくりかえして読みなおす。それが鎮魂と供養につながり、自分たちの目標となる。めざせ!大村山の頂上、と話しあった」。
「老人は荒野をめざす」は、こんなふうです。「七十歳をすぎるとポンコツ化しつつ、スーパーポンコツ(略してスパポン)をめざし、老人の獣(けもの)道を行くことにした。ゲーム感覚の人生(行きあたりばったり)、消耗品としての肉体を自覚し(ケガするから)、一日単位の勝負(負けを翌日に持ちこさない)に賭けた。議論せず(時間の無駄)、弁解せず(面倒くさい)、未練は捨てた(見苦しい)。いつ死んでもいい、という覚悟は『いつ死んでもよくない』(ひらきなおり)に転じ、『生きる!』ことにした。そうなっちゃった。反省せず(終わったことは仕方がない)、自由契約亭主(放し飼いの亭主)、いらだって生きる(いらだちが企画のもと)」。
「『星のおじいさま』だぞ」には、こういう印象深い一節があります。「『愛するということは、たがいに凝視(みつ)めあうことではなく、ともに同じ方向を見ることだ』というサン・テグジュペリの言葉が浮かんだ」。
「間違いを探すな」には、重要なことが書かれています。「百人いれば百通りの生き方があり、人さまざまの価値観で生きる。言い争うことがあっても、夫婦共通の価値観をもっていれば、夫婦はどうにかやっていけるのです」。
「あなた、おいくつ?」では、著者の本音が垣間見えます。「七十歳をすぎると、親しかった友人がドドドドドと死んでいく。オートレースみたいにバタバタ死んでいく。すると男の平均寿命八十一歳までは生きたい、という欲が出てくる」。
「奥さま、ぐれましょう」には、聞き捨てならぬ話が出てきます。「この間、日清戦争が勃発し、陸軍軍医監となった(森)鴎外には、小玉せきという隠し妻がいた。未亡人で裁縫をよくし、細おもての美人。『忍従の世界に生きた知性も教養も低く、まず一通り善良で相当に美しい気の毒な人』と、(鴎外の長男)森於菟が『鴎外の隠し妻』に書いている。・・・(二番目の妻・志げと再婚するまで)精力絶倫の鴎外に『かりそめの妻』としておせきさんをあてがったのは(鴎外の母)峰子のさしがねであった。・・・鴎外が五十三歳のときに刊行された小説に『鴈』がある。ヒロインは『隠し妻』小玉せきを連想させるお玉で、結婚に失敗して自殺しようとしたが果たせず、高利貸しの妾となった。お玉は医学生岡田に恋情を持つが、その恋は実らず岡田はドイツへ留学してしまう」。
「史上最強のフーフゲンカ」には、開高健と、その7歳年上の妻・牧羊子が登場します。「開高と牧の夫婦喧嘩ほど凄絶をきわめたものはなかった。言葉の魔術師で、比喩の天才である開高と、理詰めで対抗する物理系詩人の妻だから、とびかう悪罵は速射砲の連続で、ひとことで相手の核心を撃ち、双方がズタズタになる。横に編集者がいてもおかまいなし。それが何発も応酬された。・・・開高は牧と結婚したその瞬間から後悔していた。と、生涯の友・谷沢永一が『回想 開高健』に書いている。開高は『この女に、呪いをかけられた』と観念した。・・・(仕事仲間の山口)瞳さんは開高夫妻の不仲に関して、こう書いている。――開高健にずいぶんと近い位置にいながら気がつかなかった。戦場に赴きたがるのも、カナダへ行ってでっかい魚を釣りたがるのも、ヘミングウェイを気取っている、または憧れているとばかり思い込んでいた。そう言えば、外国へ行くと肩凝りが治る、何もせんのに鬱がすうっと無くなりよるとよく語っていた」。