榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

モーツァルトは、桁外れの才能を持ってはいたが、私たちとそう変わらない普通の人だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2060)】

【読書クラブ 本好きですか? 2020年12月4日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2060)

コナラ(写真1)、イチョウ(写真2~4)、ホオノキ(写真5、6)の黄葉、イロハモミジ(写真7)、ハゼノキ(写真8)の紅葉をカメラに収めました。オオバンたちが泳ぐ池の面に黄葉が映り込んでいます。ナンテンの実が陽を浴びています。

閑話休題、『モーツァルト――よみがえる天才』(岡田暁生著、ちくまプリマー新書)は、私がこれまで読んできたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト関連本の中で、読み応えにおいて第1位にランクされるべき著作です。

本書の魅力の第1は、モーツァルトが「仰ぎ見るべき別格の天才」ではなく、「桁外れの才能を持ってはいたが、私たちとそう変わらない普通の人」と位置づけられていること。

第2は、モーツァルトの少年期、活躍期、晩年期の人生と、それぞれの時期に生み出された作品との関係が、「教育パパ」、「天才」、「コンサート」、「核家族」、「恋愛結婚」といったキーワードを用いて読み解かれていること。

第3は、モーツァルトの恋愛観、死生観が論じられていること。

「彼ら(天才的な芸術家たち)はいわば『人間観察の科学者』であって、真理や法則を『ありのまま提示する』ことに徹する。容赦ないその洞察が、時として周囲に冷酷と見える。まさにこのような意味においてモーツァルトは、天才的な作曲家という以上に、しばしば天才的な『人間観察の科学者』であった。たとえばオペラ『コシ・ファン・トゥッテ』について考えてみる。この物語は科学的証明の手続きに正確に従って組み立てられている。まず登場人物たちは『男女の永遠の愛は存在するのか?』という疑問の前に立たされる。『問い』である。・・・その次に来るのが『検証』だ。実験してみるのである。『許婚(いいなずけ)との愛は永遠だ』と信じる若い男二人は、変装して互いのパートナーを取り替え、はたして女性たちが陥落する(浮気する)かどうか検証する。実験結果は・・・『みんなこういうことをする(浮気をする)』と証明される。・・・口先では『永遠の愛』などといっていても、みんな目の前に素敵な異性が現れて愛をささやいたら、あっという間に元の恋人のことなど忘れてしまい、たとえぬか喜びであっても、知らぬが仏で新しい恋に突っ走る、人間とはそういうものだ――このオペラが描くのは男女関係についての『普遍法則』である。モーツァルトはいわば、恋愛関係に悩む患者に慰め言葉をかけたりせず、淡々と診察結果を伝える医者だといってもいい」。

「人生とは究極のところ、墓場の上で踊られる束の間の宴だ。いつ死がやってくるか、誰にもわからない。そして人生の大半の時間、人は死ぬことを忘れ果てている。死はいつも突然姿を現す。そしてふたたび姿を消す。それが人生だ。わずか23歳でモーツァルトは、人が生きて死ぬということの本質を、眉一つ動かさずに直観していた」。

「モーツァルトの晩年を理解するうえで、彼の死生観は決定的な意味を持っている。はたして彼は神を信じていたのだろうか? ――信じていなかったと、私は思う。すくなくともあの世があったり、神に救われたり、そうしたことをモーツァルトが信じていたとは到底思えないのだ。その最大の理由は、彼の音楽のなかから『神の存在を信じることで得られる心の平安』を、すくなくとも私は、まったく見いだせないことにある」。

「彼岸を信じないからこそ、彼の音楽は不敬とも思える華麗さと遊び心と官能を漂わせ、しかし神を信じられないからこそ死の虚無を前に恐怖にとらわれ、そして心の平安は永遠に得られないのである」。

3つの魅力からは逸脱するが、私にとって興味深いのは、モーツァルトの「レクイエム」に関する事実が明かされていることです。「周知のように『レクイエム』については、数々のミステリアスな逸話が伝えられている。いわくモーツァルトの前に見知らぬ男が現れ、彼は匿名の依頼主からのレクイエムの作曲を依頼し、高額な報酬の一部を前払いして帰っていった、モーツァルトは男を死の使いだと信じ込み、自分自身のレクイエムとしてこの曲を作った等々(この言い伝えの出どころは、モーツァルトの未亡人コンスタンツェと再婚したゲオルク・ニコラウス・ニッセンの著したモーツァルト伝である)。いまではこの『男』というのは、ヴァルゼック伯爵というアマチュア音楽家の使者であり、伯爵には有名作曲家に匿名で作品を作らせては、それを自分の名前で発表するという趣味があったということがわかっている。若くして亡くなった自分の妻のために、伯爵はモーツァルトにレクイエムを作らせたのだ」。

モーツァルトの「交響曲第40番 ト短調 K.550」を聴きながら読み終えた私を、充実した読後感が包んでいます。