榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

モーツァルトが生涯にわたり最も長時間接していた楽器はピアノでなく、クラヴィコードだった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2630)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年6月29日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2630)

ネムノキ(写真1~3)が咲いています。女房気に入りの店で、女房の誕生日を祝いました。

閑話休題、フルート奏者のエッセイ集『演奏家が語る音楽の哲学』(大嶋義実著、講談社選書メチエ)で、とりわけ興味深いのは、「呼びかけはどこから?」、「楽譜に書き込まれた作曲者の詳細な指示は解釈の幅を拡げる?」、「モーツァルトもバッハもヘンデルもクラヴィコード」の3つです。

●呼びかけはどこから?
「もしわたしたちが芸術を、そして音楽を本当に愛しているのだとしたら、わたしたちの名を呼ぶ者は芸術(音楽)そのものであるはずだからだ。わたしたちはその声に気づいているだろうか。いや気づかなければこの道を進むべきではない。芸術(音楽)それ自体からの誘いだけがわたしたちを真の芸術世界へと導いてくえる。プロであれアマチュアであれ、その呼び声を聴きもらした者が作品の奥深くに踏み入ることは不可能だ。すでに読者はお分かりのことと思うが、バッハやモーツァルトの作品の一つ一つは彼ら自身の創作物ではない。そうではなく、その音楽自身が彼らの名を呼び、彼らをして楽譜にしたためさせたものだ。『バッハよ、あなたはどこにいるのか。私を楽譜に記し、世界にこの私の存在を知らしめなさい』という音楽それ自身からの呼び声をバッハは聴いたはずだ。そして彼の残した音符を通し、わたしたちもまた声をかけられている。『○○○○よ、私を現実の音としてこの地上によみがえらせなさい』と」。

●楽譜に書き込まれた作曲者の詳細な指示は解釈の幅を拡げる?
「楽譜が恣意的に解釈されることを恐れ、マーラーは詳細な指示をそこに記した。だが、そのような楽譜であってさえも、現実の多義性のなかではさまざまなinterpretation=演奏が生まれるわけだ。それどころか、作曲者が唯一無二の解釈のあり方を示そうと精緻な楽譜を提供するほどに、奏者にとっては解釈の幅が広くなる可能性を二人(小澤征爾と村上春樹)の会話は示唆している。・・・楽譜を解釈するためには何が必要なのか。その道筋が見えてくる。あらゆる事象やことばは、それがほかでもない自分に宛てられたメッセージであることを悟った瞬間に解釈への扉が開かれるのではないか。たとえそれが白い紙に落とされた小さなインクの染みのように奇妙なものであったとしても、だ。そのメッセージが自分に宛てられたものであることを確信するときにのみ、わたしたちの内なるヘルメスは目覚めるのだ」。

●モーツァルトもバッハもヘンデルもクラヴィコード
「モーツァルトが生涯にわたり最も長時間接していた楽器がクラヴィコードであることを知ったら世のクラシックファンたちは驚くのではないか。彼にはピアノを弾いているイメージしかない。・・・彼は子供の頃からピアノの名手だった。だのになぜ彼の身近にあった楽器はピアノではなくクラヴィコードだったのか。少し考えればわかる。・・・旅の途中でも訓練を怠ることはなかった。まさか移動の馬車に大きなピアノを積みこむことは不可能だ。ところが同じ鍵盤楽器でもクラヴィコードなら持ち込める。構造的に大きくも小さくも作ることができ、持ち運びも容易な楽器だったからだ。彼が晩年まで、いかにこの楽器に親しんでいたかは、ザルツブルクに残る彼のクラヴィコードで知ることができる。その楽器には妻コンスタンツェの手で『私の亡き夫モーツァルトは<魔笛><皇帝ティトゥスの慈悲>および<レクイエム>をこのクラヴィーア(鍵盤楽器の総称)で作曲した』と、記されている。事情はバッハの時代でも同じようなものだ」。