榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

弟子たちにざっくばらんに接した夏目漱石、慰安婦に群がる兵士たちを描いた田村泰次郎・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2066)】

【読書クラブ 本好きですか? 2020年12月10日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2066)

東京・文京の小石川後楽園の紅葉ワールドに迷い込み、時の経つのを忘れてしまいました。因みに、本日の歩数は16,890でした。

閑話休題、『文学は実学である』(荒川洋治著、みすず書房)に収められているエッセイは文章量が少ないものがほとんどであるが、示唆に富んでいます。

「大きな小事典」には、こういう一節があります。「(この小事典の)圧巻は『内外の文学者』の解説だろう。・・・下欄にはその人の作風が三四字以内で簡潔に記されている。一部をここに書き写しておこう。●尾崎紅葉=内容の通俗性と手馴れた風俗描写により旧文壇に君臨した。硯友社主宰。●与謝野晶子=奔放な空想と情熱によって輝くばかりの浪漫世界を現出した。●真山青果=荒けずりだが力強い小説を書いたがのち劇作に転じ西鶴・馬琴の研究がある。●葛西善蔵=実生活における貧窮と敗北を小説化することを文学の本道と信じた作家。●高見順=繊細な都会人気質を新しい散文の形式によって写し出した作家。●伊藤左千夫=子規の主観的方面をついで短歌を心境芸術にまで高め『叫び』を強調した。 どれも必要にして十分な説明である」。私も、こういう技を身に付けたいと、しみじみ思いました。

「おかのうえの波」では、文章論が展開されています。「『私の文体』について書くようにとのこと。ひよっこのぼくにも文章を書くときの心がけのようなものはある。①知識を書かないこと。②情報を書かないこと。③何も書かないこと」。③については、「文章は読者を威圧することがあってはならない。だがこれはむずかしい。文章を書くよりむずかしいことかもしれない。それには何も書かないのが一番だとすら思う。書かなければ威圧にも荷物にもならない」。ううむ。

「漱石の自己批評」は、いい話です。「(弟子たちに向かって)漱石は『ときどき、自分のふるいものを読みかえすと大変ためになるものだね』というので、若い江口(渙)はここぞとばかりきいてみた。<――先生はどれが、一番いいとお思いになりました。『坊ちゃんなんか、一ばん気持ちよく読めたね』。――吾輩は猫はどうです。『あれも悪くはないよ』。――草枕は、いかがでした。『草枕かい。あれには、辟易したね。第一、あの文章に』。――例の智に働けば角が立つ。情に棹させば流されるというやつですか。『ううむ。読んでいくうちに背中の真中がへんになって来て、ものの五枚とは読めなかったね』>。ここでみんながどっと笑ったそうである。引用をつづけよう、<――虞美人草はどうです。『虞美人草はまだ読みかえしてみないが、あれも駄目だろう』>。漱石は、ときおり微笑をまじえながらも、厳粛な表情で質問に応じたという。漱石って、こんなにざっくばらんな人だったのだと思うと俄然親しみがわくのだが、それにしても漱石が、自作に向ける目は冷静である。漱石は沈着で、正直で、謙虚な人だったのだ。世評にも読者の数にも、とりまきの人たちのことばからも身を離して、自分を見ることができる人。自分を見ること、知ることは、えらくなるほどむずかしいことである。ひょっとしたら名作を残す以上に、困難なことかもしれないが漱石にはそれができたのである」。漱石の人間性を見直してしまいました。

「白い戦場」では、田村泰次郎が俎上に載せられています。「田村泰次郎の作品を集めた『田村泰次郎選集』(全五巻)。その第四巻は『黄土の人』から『失われた男』まで一五編をおさめる。『肉体の悪魔』『肉体の門』で登場した田村泰次郎は、戦後一〇年を経過したこの時期に、あらためて戦地の記憶を取り出し、『戦争のなかの性』を描く。その一編『裸女のいる隊列』。部隊との連絡に出された『私』は、兵隊たちの列に、白いものが、まじっているのに気づく。<それは全裸の女なのだ。一個分隊くらいの間隔をおいて、その裸の女体は配置されている>。上官は、行軍する兵士たちに向けて叫ぶ。この中国人の娘たちを抱きたかったら、この<裸をにらみながら>歩け、と。目の前を通り過ぎる裸の女の肌は<蝋人形のように透きとおってきていて、むしろ、妖しい艶めかしさを帯びてさえ見えた>――。慰安婦と兵士のかかわりは、『蝗』でさらに鮮明になる。司令部へ、朝鮮人の慰安婦を送りとどける兵士『原田』は、ひとりの女の下腹部を見つめる。・・・空を曇らすほどに、蝗の大群が襲うなか慰安婦に群がる男たち。<人間である必要はなかった>。極限の世界での、心と体の動きを知ることで、日本の兵士たちが何をしたか、どう生きていたか、その一端がわかる」。『田村泰次郎選集』の第四巻を、早速、私の「読むべき本リスト」に加えました。