凍土を進む日本軍の隊列に全裸で連れられていく中国人の娘たち・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2083)】
シメの雌(写真1、2)、マヒワ(写真3~5)、アトリの雌(写真6)、モズの雌(写真7、8)、セグロセキレイ(写真9、10)、カケス(写真11、12)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は11,393でした。
閑話休題、『田村泰次郎選集(4)――戦争文学の新しい試み』(田村泰次郎著、日本図書センター)に収められている短篇『裸女のいる隊列』は衝撃的です。
著者が補充兵として召集された日中戦争の戦場体験に基づいているため、描写が徹底的にリアルで、吐き気を催すほどです。
「住民たちに対する日本軍の身の毛のよだつような所業は、私の七年間にわたる戦場生活で幾場面も見ているが、全戦争期間、全戦域にわたつては、それがどのくらいの場面になるかは、想像を絶したものがあるにちがいない。私は、その凄惨な場面を生きてきたが、ために、戦後十年もすぎたいま、ふたたび、民族優越の自信をとり戻すことが叫ばれても、私にはとてもそんな気持が動かない。私は日本人の一人である自分自身を信じられぬし、また人間全体をも容易に信じることは出来ない。日本人に対する不信の念は、恐らく私の生涯をとおして変らないだろう。すぎた昔の古傷を、お互いにあばきたてることなど、いい加減にしたらどうか、とひとはいうかも知れない。そういう考え方もわからないではないが、そうは思つても尚、忘れようとしても忘れられぬいくつかの場面は、私の脳底に灼きついている」。
「その山脇大尉という将校は齢はもう四十歳に近かつたようだ。・・・私たちが補充要員として、内地から送られて行つた山西省の、石太鉄道のある駅から三十里ほど南にはいつた、大行山脈のなかのその県域で、山脇大尉は勇名を轟かせていた」。
「あるときの討伐では、山脇隊長が、兵隊たちのとり巻いているなかで、父と娘とを相姦させたという噂を聞いた。そのあと、父も、娘も、銃剣で刺殺したそうである」。
「冬の大隊討伐のときだつた。大隊は一週間も、駐屯地の県域に帰らないで、山また山のあいだをぬつて、行動をつづけていた。黄土の山肌を照らす陽ざしも、昼間から鈍く力なく、地表はどこまでも凍土の波であつた。冬期は地下一メートルにも凍つている。海抜三千メートル以上もある山岳地帯である」。
「そんな状態のなかを、私は山脇隊に連絡にだされた。恰度、山脇隊は山の稜線にむかつて、急勾配の斜面を登つてくるところだつた。私は稜線をちよつと降りたところで、隊長を待つた。そのとき、なかに白い色が、隊列のなかに、まじつているのを、私は見た。白い色は、うす暗さを増してきている山の暮色に、一際きわだつているが、とつさには、それがなんであるか、私には見当がつかなかつた。けれども、近づくにつれて、まもなく、私にわかつた。それは全裸の女なのだ。一個分隊くらいの間隔をおいて、その裸の女体は配置されている。あまりの唐突さに、私にはこの場面の意味が、すぐには判断出来なかつた。『貴様たち、この姑娘(クーニャン)たちが抱きたかつたら、へたばるんじやないぞつ、――いいか、姑娘の裸をにらみながら、それつ、頑張るんだつ、――』。下士官がどなつている声が、聞こえてくる。隊列は、私のそばにきた。眼の前をすぎて行く女の肌は、はつきりと鳥肌だつているのが見え、蝋人形のように透きとおつてきていて、むしろ、妖しい艶めかしさを帯びてさえ見えた」。
「隊長は私の伝達を聞くために、馬から降りて、地面に立つた。そのとき、一人の老婆が、なにか大声でわめきながら、隊長のそばに寄つてきた。裸にされて、酷寒のなかに立たされている娘を、返してくれといつているらしい。娘たちは、さつき通過してきた部落からひつぱつてきた女たちにちがいない。老婆は、彼女たちのなかの自分の娘を追つかけてきたのだ。うるさいというように、将校の一人が老婆をつきとばした。老婆は、道路わきの地面に落ちて、仰むけにひつくり返つた。その姿勢のまま、まだしきりとわめいている。すると、隊長が、ひよいと腰をかがめて、両腕で西瓜ほどもある石を抱えあげたかと思うと、老婆の方にむかつて投げつけた。『ぎやつ』というような叫びが、山の空気をひき裂いて、老婆の頭は砕けた。ざくろのように白つぽい脳漿が、凍土に、どろりと流れた。誰も、なんともいわない。一瞬、ひんやりとしたようなものが、兵隊たちの胸から胸を流れたようだつた。『出発』。山脇隊長は、同じ調子の小声でつぶやいた。まだ、びくびくと手足を動かせて、うなつている老婆を残して、ふたたび、隊列は、裸女たちをはさんで、粛々と動きだした。それは一糸みだれぬ、みごとな統率ぶりであつた」。
戦争とは何か、人間とは何か、狂気とは何か――を考えさせられる一篇です。