榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

宇喜多秀家が若輩ながら豊臣政権の大老に抜擢されたのは、なぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2082)】

【読書クラブ 本好きですか? 2020年12月25日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2082)

これだけ確保できたので、この年末・年始、書物飢餓に陥らずに済みそうです。因みに、本日の歩数は11,327でした。

閑話休題、私は、かねがね、宇喜多秀家という人物について、なぜ、若輩なのに豊臣政権の大老に抜擢されたのか、そして、若くして栄光を極めた彼が、関ヶ原合戦後、八丈島に流罪となり、84歳(数え年)で死ぬまで、どんな気持ちで過ごしたのか――が気に懸かっていました。

この意味で、今回手にした『宇喜多秀家――秀吉が認めた可能性』(大西泰正著、平凡社)は、なぜ抜擢されたのかという疑問に明快に答えてくれました。

同じ大老に任じられた徳川家康は秀家より30歳年上、前田利家は35歳年上、上杉景勝は17歳年上、毛利輝元は19歳年上でした。

秀家自身には特筆すべき戦功も、顕著な能力も認められない、一旦固めた意思は押し通すが短気、短気ながら、思いのほか強かでもあったと、著者は冷静に見ています。

「若年の秀家が豊臣政権の屋台骨を背負う(五大老の)一人にまで累進した理由を4点、筆者なりに整理してみた。そこで気づくのは、いずれも(豊臣)秀吉あってこその立身出世という事実である。宇喜多直家・秀家親子に対する秀吉の恩義、樹正院に対する秀吉の愛情、秀吉と秀家との良好な関係、身内を引き立てようとする秀吉の意図――。筆者の見立て通り、『大老』抜擢といった秀家の厚遇が、おもにこの4つの理由に基づくとすれば、その理解の先に豊臣政権の本質がみえてくる。秀吉という人格への依存がはなはだしい。秀吉はその最期まで豊臣政権の意思を体現し、独裁的に政務万端の決定権を握り続けた。だからこそ、経験や能力に際立った点のない秀家であっても、秀吉という個人との不即不離の関係をもって立身出世を遂げる余地が生じたのではなかろうか」。

樹正院というのは、前田利家の四女で、幼少期に実子のなかった秀吉の養女に迎えられ、秀吉から非常にかわいがられ、その後、秀家の正室となった、通例、豪姫と呼ばれる女性です。

私のもう一つの疑問、八丈島における秀家の心境については、同じ著者の『論集 加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類』を読まねばならないようです。慶長11(1606)年4月に、息子2人(孫九郎秀隆、小平次)や僅かな随行者を伴って八丈島に流された秀家のことが、どうしても気になってしかたありません。