コペルニクスが革命的な地動説を思いつくことができたのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2128)】
野鳥に造詣の深い観察仲間のSさんからもたらされたクロジ情報に基づき、長時間、頑張ったが、辛うじてクロジの雌(写真1)と判断できる写真は、この一枚だけでした(涙)。そこからそう遠くない所で、幸運にも、ルリビタキの雌(写真2、3)に出くわしました。シロハラ(写真4~6)をカメラに収めました。
閑話休題、コペルニクスが地動説という、文字どおりコペルニクス的転回を成し遂げることができたのはなぜか――を知りたくて、『コペルニクス――よみがえる天才』(高橋憲一著、ちくまプリマー新書)を手にしました。
「地動説の科学的証拠とされるものは、18世紀以降に発見されたものであり、地動説の提唱者コペルニクスは16世紀に生きていた。つまり、現在の我々にとって地動説の科学的証拠とされるものをコペルニクスはもっていなかったのである。コペルニクスは我々とは異なる別の証拠をもっていたのだろうか」。
「コペルニクスを研究する科学史家を悩ませる問題は、何の前触れもなく、『コメンタリオルス』でいきなり太陽中心説という斬新で革命的な天文理論の出現に出くわしてしまうことである。伝統的な地球中心説に満足せず、どこに不満を抱き、新理論へと駆り立てた動機は何だったのだろうか? このことについてのコペルニクスの言及は僅かしかなく、その片言隻句を活用しながら推測する以外にない。しかし学者たちによるその推測は核心を突くところまで来ていると思われる」。
「コペルニクスの理論的革新の動機は、彼自身が明言している天文学的伝統の不一致・不確実さしか残されていないように思われる」。
「天文学の伝統を批判する3つの規準のうち、『地球を動かす』というアイデアの形成に最も寄与したのは何であったかを考えてみよう。・・・『一様円運動の原理』の遵守。これこそコペルニクスを駆り立てた動機である」。
「一様円運動の原理を遵守することがどうして『地球は動く』ことを導き出してくるのだろうか。・・・コペルニクスは『地球が動く』ことをまず仮定して探究を開始したのではない。『一様円運動の原理』に忠実であろうとして、周転円説の修正に手をつけたのだった。・・・コペルニクスにとって『地球の公転運動』という着想は焦眉の問題に対する一つの解決策を示唆するものだった。しかし地球が運動するという証拠があったわけではない。むしろ、地球が静止していることは感覚的には自明のことだったし、それを裏付ける強力な自然学的議論もさまざまに展開されていた。証拠が全くない時点で、その破天荒な着想をコペルニクスが捨てきれなかった理由もまだ同時にあっただろう。『地球は運動している』という(目下のところ根拠はない)仮説をとりあえず採用し、その含意を検討してみると、たとえば、惑星運動の第二不等性(逆行運動)の理解の仕方、その大きさや頻度などについて、その新しい視点がいかに豊かな内容をもっているか、それが明らかになってきたからではないかと推測される。・・・こうしてコペルニクスはプトレマイオスでは得られなかった成果を得たわけである」。
「『地球が動く』と仮定すると、既存の理論においてバラバラに扱われていた諸現象が統一的に理解でき、既存の理論では全く不明だった事柄にも新しい光を投げかけることはできた」。
プトレマイオス以降の天文学の展開の中でますます複雑になっていった宇宙モデル(天文体系)の単純化を目指したのが、コペルニクスだったというのです。彼は、観測データとの整合性を高めるために複雑怪奇なものとなってしまった天文体系の改善を目指す中で、一様円運動という原理に忠実であろうとするならば、また、惑星を運ぶ天球の実在性を確保するためには、地球中心のモデルよりも太陽中心のモデルの方が望ましいとの考えから太陽中心説を提唱するに至ったのです。天動説から地動説への転換は、科学史上、最も重大な科学革命ではあるが、天球や一様円運動への拘りに着目するなら、地動説モデルは、少なくともその発想の段階では、仮説に過ぎなかったということに驚かされます。
かなり専門的な記述もあるが、納得感が得られる一冊です。