このままこの穴の中で、毒を食った鼠のように狂い死にすることだけはしたくありません・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2146)】
アオジの雌(写真1、2)に出会いました。カンヒザクラ(ヒカンザクラ。写真3~7)が見頃を迎えています。サンシュユ(写真8、9)、ウメ(写真10~13)の花をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は16,156でした。
閑話休題、『中野好夫』(中野好夫著、ちくま日本文学全集)に収められている「『ガリヴァー』の作者の死」では、ジョナサン・スウィフトの老残ぶりが、これでもかというぐらい生々しく描写されています。
75歳の、在ダブリンの英国国教会の本山、聖パトリック教会の首席司祭、スウィフトは、政府の精神鑑定委員会で、健全な精神機能は失われているとの結論が下され、首席司祭の職を解かれます。
「しかし、それにもかかわらず、なかば生ける屍になったこの厭人主義者は、なお3年の歳月を枯木のように生きながらえねばならなかったのだ」。
「スウィフトの悲劇は、生きながらの立枯れにも似た姿で崩れてゆく悟性、知性の荒廃を、痛いまでにみずから意識しながらの地獄相だったのである。・・・はっきり剣のような鋭い意識をもって、どうしようもない自己の精神崩壊を見つめていなければならない彼の悲劇は悲痛であった。ときどき狂人のように爆発する激怒も、故なしとはいえなかった。ようやく病状が悪化しかけたころではあるが、『もうこの世とも手を切るべきときだと思います。少しでももっとよい世界に行けるのであれば・・・とにかくこのままこの穴の中で、毒を食った鼠のように狂い死にすることだけはしたくありません』と述べている。毒を食った穴の中の鼠――それはなにか大きな闇黒の運命と、必死の抵抗を闘っている老スウィフトの姿を思わせる」。
「スウィフトの病気は、今日医学的にもほとんど確実につきとめられている。・・・最後の病因は脳血栓からきた麻痺による老耄であったらしく、狂気の遺伝や梅毒の形跡は認められなかったという。また、痼疾の眩暈も三半規管の故障からくるメニエル氏症候群であったというのが、ほぼ現在の定説になっている。そんなわけで、たえずスウィフトをおびやかしつづけていた狂気への不安は、あくまでも彼自身による不安、妄想にすぎなかったということになっている。が、今日医学的所見がどうであろうと、少なくとも生前の彼にとって、痴呆の恐怖と狂気のそれとは、事実上紙一重、ほとんど一線を引きえないものとして感じられていたに相違ない」。
無類の厭人主義者スウィフトにも、中年時代には彼を巡る女性がいた、それも三角関係だったというのだから、驚くではありませんか。「小さなダブリン市に、47歳の中年男スウィフト、33歳のステラ、そしてまた26歳のヴァネッサと、こうこの複雑な関係の三人が出そろっては、梅雨の長雨にも似た暗い三角関係の一幕がはじまらなければ、はじまらないほうがウソであろう」。この話もなかなか興味深いのだが、語り出すと長くなるので、この辺りで失礼。