『闇の奥』で、ジョゼフ・コンラッドが伝えたかったこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2206)】
少し先を歩いていた撮影助手(女房)が、アオスジアゲハよ、と叫びながら走り戻ってきました。慌てて駆けつけたが、時既に遅し。已むを得ず、撮影助手がスマホで撮影した、トチノキの花で吸蜜するアオスジアゲハ(写真1、2)の写真を掲載します。ベニバナトチノキ(写真3)、フジ(写真4、5)、キリ(写真6~8)、ホオノキ(写真9、10)、ユリノキ(写真11~13)、ヤマボウシ(写真14、15)が咲いています。因みに、本日の歩数は14,629でした。
閑話休題、『闇の奥』(ジョゼフ・コンラッド著、黒原敏行訳、光文社古典新訳文庫)は難解な小説とされているが、巻末の武田ちあきの解説が理解を大いに助けてくれました。
ちっぽけな煤まみれの蒸気船の若き船長・マーロウが、象牙交易で絶大な権力を振るうクルツという人物救出のため、アフリカ奥地へとコンゴ河を遡る旅に出ます。白人に虐げられる黒人たち、底知れぬ闇のような密林、森に隠れて不気味に蠢く黒人たちなど、マーロウにとっては驚きの世界が次から次へと眼前に展開されていきます。その道中、いろいろな人からクルツの噂を聞かされ、マーロウは好奇心を掻き立てられます。
「うしろでチャラ、チャラと小さな音がしたので、振り返ってみた。六人の黒人が縦一列に並び、苦しそうに小道をのぼってきた。背中をまっすぐ起こして、ゆっくりと、頭の上には土をいっぱい入れた小さな籠を載せている。チャラ、チャラという音は足の運びと拍子が合っていた。腰に巻いた黒いぼろ切れの、うしろに垂れた部分が尻尾のように揺れた。あばら骨がくっきり浮き出し、手足の関節はロープの結び目みたいだ。どの男も鉄の首輪をはめられ、全部が一本の鎖でつながれている」。
「人も、物も、建物も、埃にまみれたがに股の黒人たちがぞろぞろやってきてはまた去っていく。粗末な綿製品や硝子玉や真鍮の針金といった加工製品が闇の深みへ持っていかれ、それと引き換えに貴重な象牙が少しずつ運ばれてくる」。
「会計士は、ペンを置いて、ゆっくりと、『あの人は大変な人物です』と付け加えた。いろいろ訊いてみると、クルツ氏はある出張所の責任者だが、そこはとても重要な出張所で、まさに象牙の国ともいうべき地域にあるとのことだ、『その一番奥にありましてね。ほかの出張所を全部合わせたよりも多くの象牙を送ってくるのです・・・』」。
「俺はその五キロほど先で、額に銃弾の穴があいた黒人の中年男の死体にまともに躓いてしまったが、そうやって死体にするのは永久に効果の続く蛮人の教化法とみなされているのかもしれなかった」。
「何キロも何十キロも果てしなく静寂が続く――こうして俺たちはじりじりとクルツのほうへ近づいていった」。
「(クルツの邸を取り囲む杭の一本一本に串刺しにされた)首は黒くて、干からびていて、頬や眼がへこんで、瞼を閉じている――杭の先で眠っているようだが、唇が乾いて縮み、白い歯の列が細く覗いているせいで、笑っているようにも見え、永遠の眠りの中で何か滑稽な夢を果てしなく見ているかのように、ずっと笑みを浮かべつづけていた。・・・あの首はみんな謀反人の首なんです、と(クルツの最後の弟子である)青年は言った」。
「魔境に魅入られる前のもともとのクルツの幽霊が、空疎な紛いものの枕もとに頻繁に現われた。紛いもののほうはもうすぐ原始の大地に葬られる運命にあった。クルツが深く分け入った神秘への悪魔的な愛と、すさまじい嫌悪が、クルツの魂の争奪戦を繰り広げた。原始的な感情を飽きるほど味わい、偽物の名声やまやかしの栄誉をむさぼろうとし、成功と権力の持つあらゆる見かけを貪婪に求めたクルツの魂を奪い合ったのだ」。
クルツの死後、クルツから託された書類の束を持ってロンドンに戻ったマーロウは、クルツの婚約者に会いに行きます。そこで、マーロウは嘘をついてしまいます。「『あの人の最期の言葉を――生きる支えにしたいのです』。彼女は小声で言った。『わかってくださるでしょう。私はあの人を愛していた――愛していたのです!』。俺はようやく気持ちを立て直してゆっくりと言った。『彼が最期に口にした言葉は――あなたのお名前でした』」。クルツが実際に発した最期の言葉は、「怖ろしい! 怖ろしい!」だったのに。因みに、中野好夫は「地獄だ! 地獄だ!」と訳しています(岩波文庫版)。
多くの識者たちが本書をいろいろと評しているが、コンラッドは、帝国主義・植民地主義を告発するといった考えではなく、闇の深い異世界、文字どおり魔境で、若かった自分が体験した驚きを文学という形で表現したかっただけだろうと、私には思えてなりません。