榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

漢字は全て、書聖と呼ばれる王義之の字が手本になっているんだって・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2210)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年5月2日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2210)

シーラ・ペルヴィアナ(写真1~3)、タニウツギ(写真4)が咲いています。カラタネオガタマ(写真5、6)がバナナのような匂いを漂わせています。ツバメ(写真7、8)が抱卵しています。端午の節句が近づいてきましたね。

閑話休題、『文字に美はありや。』(伊集院静著、文春文庫)は、いろいろな人物の書を巡るエッセイ集です。

とりわけ興味深いのは、書聖と呼ばれる王義之の話です。

「その名前くらいは耳にしたり、目で見た日本人は多いかと思う。『書聖』と呼ばれている人は、今も、昔もこの人しかいない。この人があらわれておよそ千七百年が過ぎているが、『書聖』は世界中で王義之、一人である。『王義之の前にも後にも彼を超える書家はあらず』と後世の書家たちは言う。西暦三〇三年に生まれた人であるからおよそ千七百年後の今日まで彼の字が峰の頂きにいる。今日? と思われようが、今私たちが高級中華料理店で目にするメニューの文字、家のどこかに仕舞ってある卒業証書の文字、面白いところでは麻雀牌の『九萬』の字・・・。それらすべての手本となっているのが王義之の書いた文字と言われる。世界中にある創作分野(音楽、絵画、小説・・・)で一人の作品が範であり続ける例は他にない。彼が生きた時代が書の草創期であったこともあるが、楷書、行書、草書のすべての字を残し、以後皆がこれにならった。どのくらい持ち上げられたかというと、中国の歴代皇帝が彼の書を欲しがり、唐の太宗などは中国全土に散在していた義之の書の収集を命じ、手に入った名品を宮中の奥でかたときも手元から離さず、没する時に陵墓に副葬させた。こうなると愛着というより信仰に近い。いやはや、たいしたものである。それほどか・・・」。

「私は王義之の書の特徴として三点を挙げたい。一、筆勢の不二(この勢いはふたつとない)。二、文字としての全量のたたずまいと構成力。三、情緒のゆたかさ(感情と言ってもよい)。 きわめて個人的な鑑賞だが、千七百年の間、義之の書を賞讃する人は同じようなことを曰っている」。

王義之の書を見ると、確かに整った美しい字ではあるが、趣に欠ける、もう一つ味わいが感じられない――というのが、私の正直な感想です。