榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

仏教における「大嘘」の歴史とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2251)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年6月11日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2251)

ビヨウヤナギ(写真1、2)、ルドベキア・ヒルタ(写真3、4)、ムラサキバレンギク(エキナセア・プルプレラ。写真5、6)、キキョウ(写真7)、サボテン(8、9)が咲いています。我が家の庭では、ナツツバキ(写真10、11)が、毎日、咲いては落ちることを繰り返しています。

閑話休題、『宗教は嘘だらけ――生きるしんどさを忘れるヒント』(島田裕巳著、朝日新書)には、興味深いことが書かれています。

●智顗(ちぎ)について――
「中国における天台宗の開祖とされるのが智顗である。智顗は538年に生まれ、598年に亡くなった。時代としては南北朝時代から隋にかけてである。・・・重要なのは、智顗が五時八教という独自の教判を確立したことにある。教判というのは、釈迦が行った説法を時代別に分け、どの時代の説法が最も重要なものであるかを判別する試みのことをさす。そうした試みが必要だったのは、仏教の開祖である釈迦は膨大な仏典を残しているからである。現代では、仏典は釈迦が亡くなってから相当に時間が経ってから作られたもので、そこには釈迦の教えが直接的な形では残されていないと考えられている。・・・智顗の時代には、膨大な数が存在する仏典、それはインドから中国に伝えられた大乗仏典ということになるが、それらはすべて釈迦が説いたものだということが前提になっていた。・・・しかし、それぞれの仏典で説かれる内容は異なっている。たとえば、法華経と般若経では、中心となる教えはまったく違ったものになっている。・・・智顗の教判においては、最後に説かれた法華経の教えが最も重要なものとされたのである。・・・それが天台智顗の独特な解釈だった。法華経に釈迦の本当の教えが説かれているのなら、それを説く以前の釈迦は、真実ではない、嘘の教えを説いていたことになる。・・・智顗は、相当に強引なやり方をとっている。それによって、法華経にこそ真実の教えが説かれており、それまでの教えは法華経に導くための方便の教えであったとされることとなった。文字通りの牽強付会であり、智顗は大嘘をついたことになる。だがそのことは、日本の仏教に絶大な影響を与えていくことになる」。智顗は大嘘をついたのです。

●最澄について――
「日本には、奈良時代に、のちに『南都六宗』と呼ばれるようになる宗派の教えが中国から伝えられた。・・・重要なのは、このなかに天台宗が含まれていないということである。すでに中国では天台宗が生まれていたにもかかわらず、である。それは、智顗の弟子である潅頂以降になると、天台宗が衰えてしまっていたからである。・・・日本で天台宗に注目したのが平安時代の最澄である。そこには鑑真の来日が影響していた。鑑真は、日本で律宗を開いたように、戒律についての大家だったわけだが、同時に天台宗の教えも学んでいて、日本にやってくるときに天台関係の典籍を数多く携えてきた。これで、日本にはじめて天台宗の教えが伝えられたのである。最澄は、鑑真のもたらした天台関係の典籍を通して天台宗の教えを学んだ。遣唐使船で唐にわたった際には、天台宗の拠点である天台山に登り、そこで(衰えた天台宗を再興した)湛然の弟子である行満から、天台宗の教えを学んでいる。それによって、最澄は日本で天台宗を開き、彼が開いた比叡山延暦寺は天台宗の総本山となったのである。では、なぜ最澄は天台宗にひかれたのだろうか。私は最澄の強い野心が関係していると考えている。・・・天台宗の教えを日本で確立することができるならば、南都六宗を圧倒することができるのではないか。最澄は、そのように考え、天台宗を選択したのである。・・・それは、日本仏教のその後の歴史をも大きく変えたはずである。なにしろ比叡山延暦寺は、中世において日本仏教の総合大学としての役割を果たすことになっていくからである」。最澄は、結果的に、智顗の大嘘を引き継いだことになります。

●日蓮について――
「比叡山に鎌倉時代に登り、天台宗の教えに魅せられたのが日蓮だった。・・・日蓮は鎌倉時代に比叡山に登り、そこで天台宗の教えを学んでいる。・・・日蓮は、法然をはじめとする日本の宗教家を批判の対象にしたが、最澄だけは最後まで批判しなかった。・・・日蓮は、法華経にのみ釈迦の真実の教えが示されているという立場を生涯取り続け、方便の教えを信奉している他の宗教家を徹底的に批判した。・・・日蓮が法然の浄土宗をはじめ、他の宗派を徹底して批判し、それが騒動に発展したため、幕府は2度にわたって日蓮を流罪にしている。とくに2度目の佐渡への流罪は、日蓮に過酷な生活を強いた。それでも、2年半の流罪を経て許され、信仰を曲げることはなかった。この日蓮の強さが、後世に多大な影響を与え、また、戦闘的な宗教家のイメージを強化することになった。近世に入ると、日蓮宗の信仰は、京都や江戸といった都市で広がり、熱心な信者を生むことになった。それは近代にまで持ちこまれ、戦前には、日蓮信仰と皇国史観とを合体させた日蓮主義の運動が広まった。戦後になると、創価学会や立正佼成会といった日蓮系の新宗教が台頭し、巨大教団へと発展していった」。日蓮もまた、最澄を通じて、智顗の大嘘を引き継いだのです。

私は、釈迦を尊敬していて、大乗仏教は釈迦の教えとは関係のない「大嘘」と考えています。従って、「偽経とはインド以外で作られた経典のことをさす。しかし、インドで作られた経典も、とくに大乗仏典となれば、釈迦の説いた教えとはまったく異なり、後世になって作られたものである。天台宗を開いた智顗などは、経典はすべて釈迦自身が説いたものであると考え、その説かれた順番を示したわけだが、智顗が最重要とした法華経も、偽経と言えば偽経なのである」という一節に、溜飲が下がる思いがするのです。