我が先祖の榎戸氏が登場してはおらぬか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2265)】
あちこちで、ヘメロカリスが咲いています。
閑話休題、『戦国佐竹氏研究の最前線』(佐々木倫朗・千葉篤志編、日本史史料研究会監修、山川出版社)のおかげで、他の戦国大名ほど知名度の高くない佐竹氏について理解を深めることができました。
「佐竹氏が戦国時代に勢力を拡大するなかで、常陸の真壁氏、下野の茂木氏、松野氏、陸奥南部の赤坂氏など、自己の領域支配や家の存立などに関して、佐竹氏から一定の自立性を保持しながら同氏に従属する領主層が存在した。・・・このような自立的な領主層については、近年の戦国大名権力の存立に関する研究のなかでも、おもに小田原北条氏や武田氏の研究事例が参考になる。それは、戦国大名の領国内にあって、こうした自立的な領主層は一定の独立性を保持しつつも戦国大名に従属する領主ということで、『国衆(くにしゅう)』という概念で規定する傾向がみられる」。
正直に告白すると、本書を手にした私には、もしや、我が先祖の榎戸氏が登場してはおらぬかという期待があったのです。
「永禄12(1569)年11月24日に、小田氏と戦った『手這坂の戦い』の戦功として、江木戸(えのきど)内匠助に官途を与えているが(『榎戸(えのきど)文書』)、江木戸氏は常陸の有力国衆である真壁氏の家臣であることから、合戦などの軍事に際しては、佐竹氏が自立的な領主の支配権に介入できたといえる」。塙世(はなわぜ)城主の榎戸氏は、真壁氏の重臣でした。『榎戸文書』というのは、現在も塙世城跡の敷地内に住んでいる榎戸本家に代々伝えられてきた文書で、茨城大学の研究者によって解読されています。我が榎戸氏は、祖母の代に本家から独立した分家です。因みに、家紋は佐竹扇です。
それにしても、塙世城主といっても、佐竹氏の家臣の真壁氏の家臣ですから、あまり大したことはありませんね。