榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

レオナルド・ダ・ヴィンチとニッコロ・マキアヴェッリは強い友情で結ばれていた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1675)】

【amazon 『誰も知らないレオナルド・ダ・ヴィンチ』 カスタマーレビュー 2019年11月17日】 情熱的読書人間のないしょ話(1675)

あちこちで、さまざまな色合いのサザンカが咲き競い、そして、散っています。毎日、数十回も引くためか、愛用の『明鏡国語辞典(第二版』(北原保雄編、大修館書店)がボロボロになってしまいました。表紙も外れ使い難いので、買い替えました。因みに、本日の歩数は12,390でした。

閑話休題、『誰も知らないレオナルド・ダ・ヴィンチ』(斎藤泰弘著、NHK出版新書)では、レオナルド・ダ・ヴィンチに関する刺激的な見解がいくつも展開されているが、私にとって、とりわけ興味深いのは、レオナルドとニッコロ・マキアヴェッリが強い友情で結ばれていたという指摘です。レオナルドの厖大な手稿に基づいているので、説得力があります。

「近代の自然科学と社会科学の先駆者である2人の人間――レオナルド・ダ・ヴィンチとニッコロ・マキアヴェッリ――が、友人どうしであったことは、よく知られている。だが、この2つの異なった分野の科学者を結びつけたものが、実は戦争であったことを知る人は少ないだろう」。

「この両者が初めて出会ったのは、1502年、レオナルドがチェーザレ・ボルジアの『軍事技術総監督』となって、彼に付き従ってロマーニャ地方の各都市の城塞や防衛施設を視察して回っていたときのことである。マキアヴェッリも、フィレンツェ共和国の派遣委員としてチェーザレに随行して、彼の言動とその心の内を観察し続けた。そしてのちに『君主論』の中で、イタリア統一というビジョンを持って行動した唯一の君主としてチェーザレを激賞し、メディチ家の君主たちにもそうするようにと叱咤激励することになる(結局、そのような志のある君主はおらず、マキアヴェッリは腕を奮えないまま亡くなってしまうが・・・)」。

「さらにレオナルドが、1503年早々にチェーザレのもとを離れてフィレンツェに戻ったとき、この2人を再会させて、さらに強い友情で結びつけたものも、やはり戦争であった。この時期、フィレンツェはピサ攻略に躍起となっていたが、なかなかうまくいかなかった。そこで政府の第二書記局長(外交と軍事担当の事務次官、ノンキャリア組の官僚というのは俗説である)のマキアヴェッリは、レオナルドと協力して、実に野心的で大胆な作戦を実行に移そうとした。それは、ピサ市内を流れて海に通じるアルノ川を、その少し上流で堰き止めて、川の向きを運河でリヴォルノの沼のほうに曲げ、ピサを干上がらせようとしたのである(こうすれば海からの補給路が断たれて、ピサは音を上げるはず)。・・・大自然の流れを変えるという大それたアイデアは、いかにもこの2人らしい挑戦心と発明心である。それだけではない。この2人は自然力、とりわけ水の破壊力の軍事利用というアイデアに魅せられていた点でも共通している」。

マキアヴェッリはノンキャリア組ではないという主張を、塩野七生は何と聞くのでしょう。

「レオナルドとマキアヴェッリの自然観や人間観を調べると、両者の間には、もともと何か本質的な類似性のようなものがあって、彼らの精神はもっと深いところでも呼応し合っているように思われる。・・・レオナルドは自然科学者として、脅威となる自然力と対峙し、その巨大な破壊力を人間社会のために利用しようとした。それに対してマキアヴェッリは社会科学者として、気まぐれで残酷な運命の力と対峙して、混乱を極めた16世紀のイタリア社会に新しい秩序と平和をもたらそうと企てた」。

レオナルドの信仰に対する考え方の指摘も、注目に値します。

「わたしには、彼がキリスト教の説く死後の復活を信じていなかったように思われてならない。というのは、彼は数多くの死者の遺体を解剖して、自然の生み出した人体構造のすばらしさに感嘆し、『霊魂がいやいやながら肉体から離れていくときの嘆きと苦しみ』に深く同情している。だから『霊魂に心ゆくまでその作品(人体)の中に住まわせてやり、君の怒りや悪意がこのすばらしい生命を破壊しないようにせよ』という彼の悲痛な訴えは、現世の生を強く肯定して、来世の生を信じないという彼の密かな考えの表れではなかろうか? 実際に人体を解剖して、その『多彩な仕組みを持つ美しい機械』をつぶさに見た者は、死者が甦るなどという夢の教義は信じられなかったように思われるのである」。この点でも、レオナルドは時代に先駆けていたのです。